- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県垂水市
- 広報紙名 : 広報たるみず 令和8年1月号
■『震洋基地跡』の計測調査
○当時を語る戦争遺跡
太平洋戦争が終結してから80年という時間が過ぎ、人々の記憶だけでは当時を語ることが難しくなってきています。そしてその分、戦争遺跡が持つ役割は大きくなっていると言えます。垂水市にも戦争遺跡がいくつかあり、その中には昔から地域の中で語り継がれていた場所もあります。新城地区のまさかり海岸近くにある、『震洋基地跡』も、そうした戦争遺跡のひとつです。
『震洋』とは、太平洋戦争末期の海軍が開発した特攻兵器のことです。ベニヤ製の小型ボートに魚雷を積んだものでした。本土決戦の準備をしていた鹿児島県内の沿岸部には、この震洋艇の格納庫や基地が各所に作られ、垂水市の場合は、新城地区のシラス台地のがけ下に穴を掘った『壕(ごう)』というかたちで設置されました。
○戦争遺跡を調査すると
この新城地区の『震洋基地跡』について、昨年、鹿児島大学と合同調査を行いました。
新城地区の『震洋基地跡』の最大の特徴は、その大きさです。高さも幅も約5m以上もあり、奥行きは約12mで、九州・全国でも最大級であると言えます。この大きさの理由は、二階建てという構造に由来します。元の地形を利用するように、大きさの違う石を詰めて、安定した足場を作っていました。二階部分の天井付近に人為的な掘り込みがあることからも、自然な岩場ではないことが推察されます。二階左右両側に開けられた穴も、木材で階段状の構造をつくった痕跡かもしれません。なぜ新城地区のものだけこのようなつくりだったのでしょうか。
理由ははっきりとしませんが、その背景には地質・地形的特徴があったのかもしれません。実はこの場所は、一階部分と二階部分とで岩の性質が大きく異なっており、二階部分のシラスは掘削がしやすく、一階部分の荒平石は頑丈で、かつ二つの層が重なるために、その間から湧水が流れ続ける場所だったのです。この海に向かう水の流れが、震洋艇の出撃や整備に適していたのかもしれません。地域の歴史や文化と、その土地の地質的特徴は切り離せません。『震洋基地跡』のある場所は、桜島・錦江湾ジオパークの名勝『白崩(したく)え』として紹介されています。大きなシラスの足元にある戦争遺跡のことを、知っておいていただければと思います。
〔参考〕
『垂水市史(下)』(1977) 発行/垂水市教育委員会
