文化 たるみず歴史・文化散歩 第68回

■『田上城跡』の発掘調査
○田上城跡
垂水市田神の東側、垂水市役所側から南方神社を左へ曲がり、道沿いを進んだ先で、田の神様の像や山神様の石祠と共に、田上城跡の案内板が見えてきます。
田上城跡の麓を通る市道元垂水原田線の改修工事に伴い、垂水市教育委員会では今年度、田上城跡の発掘調査を行いました。
中世(戦国時代)の田上城跡は、長く梶原氏という有力者の拠点であったと伝わっています。航空写真から観察すると、田上城跡はシラス台地に挟まれた孤立丘陵、ひとまとまりの山であることがわかります。二つの台地とその麓の小川、そして後背の高隈山系で三方向から守られ、目の前には平野が開き、錦江湾や伊地知氏の拠点であった本城を見渡せるこの田上城跡の立地は、山城として好条件を備えていると言えます。

○発掘調査で見えてきたもの
発掘調査では、斜面に石を張り付けたような石列遺構と、敵に投げつけるための石を集めた集石遺構、土塁状の盛土、そして景徳鎮の破片や完形の青磁などの遺物が出土しました。出てきた遺物の年代調査では、複数の物が十四世紀後半から十五世紀という古い年代を示しており、これは文献で判明している時期よりも前から、この田上城跡が使われていたことを示しています。
このほか、石列遺構(せきれついこう)などの出土も南九州では珍しいものでした。さらに、石列遺構の一部があった下の地面からも、石積のような遺構が出土しています。つまり、二重構造のようなつくりをしていたのです。
これらの遺構は、山に作った平場を安定させる「土留め」の役割があった可能性があります。当時の土木工事の痕跡です。今後の山城調査において基準となりえるような成果かもしれません。こうした遺構が残る田上城跡は、貴重な遺跡であると言えます。

〔参考〕
『垂水市史(上)』(1998) 発行/垂水市教育委員会