- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県さつま町
- 広報紙名 : 広報さつま 2025年12月号
今年は戦後80年。戦争の記憶が薄れつつある今、改めて平和のありがたさを考える節目の年です。
11月7日に行われた町戦没者追悼式では、町遺族会鶴田支部長の福滿隆德さんが、自身の体験を通して、戦争の悲惨さと平和への願いを語りました。
■福滿さんの講話から
今年は戦後80年。これまで語られなかった多くの人々が、ようやく戦中・戦後の苦しみを語り始めています。私自身、父を戦争で亡くしましたが、当時1歳1か月だったため、顔を知りません。父は昭和20年6月10日、ルソン島マニラ南部で戦死。31歳でした。昨年、県から軍歴を受け取り、初めて父の足跡を知ることができました。
母は私が5歳の時に他界し、姉とともに祖父母に育てられました。祖父は私を田畑や山へ連れて行き、家を守る責任を教えてくれました。成人の日、祖父は74歳で亡くなりましたが、私の成長を見届けてくれたのだと思います。祖母も昭和55年に86歳で他界。父の霊を感じるような夢をよく見ていたと話していたのが印象に残っています。
戦後の暮らしは厳しく、欲しいものを我慢するのが当たり前。からいもや柿など、自然の恵みを採って食べるのが楽しみでした。正月に新しい服を買ってもらうのが何より嬉しかった思い出です。親のいない寂しさを感じながらも、走るのが得意だった私は、祖父母を喜ばせようと一生懸命努力しました。地域の人々も励ましてくれたことを、今でも忘れません。
高校時代、就職のための校内面接時に就職担当の先生から「両親がいないから」と希望する企業への就職は無理だと言われた時は大きな衝撃を受けました。しかし、担任の先生から「得意な運動を生かして体育教師にならないか」と言われ、その言葉が私の人生を支えてくれました。
戦争は人の命や家族の絆を奪うものです。戦争で父を失った私たち世代も80歳を超えました。これからの世代に、戦中・戦後の苦労や平和の尊さを語り伝えていかなければなりません。
町遺族会鶴田支部では戦後80年を記念し、西南の役から太平洋戦争までの戦没・戦病死者413柱をまとめ、慰霊塔の前に銘碑を建立する計画を進めています。尊い命を捧げられた英霊に哀悼の誠を捧げ、平和を祈りたいと思います。
遺族会員も高齢化が進み、追悼式の参加者は減っています。戦争の悲惨さを遺族だけでなく町民全体で共有し、平和の尊さを語り継いでいくことが何より大切です。戦没者を追悼するとともに、「二度と戦争を起こしてはならない」という思いを町民みんなで考える機会となることを願っています。
■記憶を伝える郷土誌
町の郷土誌は、地域の歩みを丹念に記録した貴重な資料です。中でも、戦争にまつわる記述は、町民が経験した激動の時代を静かに語りかけてきます。太平洋戦争期の暮らし、出征兵士の記録、空襲の影響、疎開や食糧難など、当時の町の様子が克明に描かれており、平和の尊さを改めて考えさせられます。
また、戦後の復興に向けた町民の努力や、戦争体験者の証言も収録されており、次世代へと語り継ぐべき歴史が詰まっています。地域の記憶をたどることで、今を生きる私たちの暮らしの礎を知ることができるでしょう。
この郷土誌は、町の図書室にて閲覧可能です。ぜひ一度手に取って、町の歴史に触れてみてください。
■戦争を語り継ぎ、平和の尊さを未来へ
11月7日、鶴田中央公民館で町戦没者追悼式が行われました。式では、町遺族会宮之城支部長の甫立淳一さんが追悼の言葉を述べたほか、町平和作文コンクール最優秀賞を受賞した盈進小学校6年の草野紗良さんと宮之城中学校3年の東里依音さんが作文を朗読しました。また、戦後80年の節目となる今年は、特別企画として講話「戦争と平和と私」が行われ、参列者は平和への思いに包まれた会場で静かなひとときを過ごしました。
■平和作文最優秀賞受賞者
平和作文の全文は二次元コード(本紙またはPDF版に掲載)からご覧いただけます
■地域に残る戦没者を追悼する慰霊碑
町内には、戦争で命を落とされた方々を悼(いた)み、平和への願いを込めて建てられた慰霊碑が点在しています。主なものだけでも3か所、さらに各地域にもそれぞれの思いを込めた碑があり、今も静かに私たちを見守っています。先人の犠牲に思いをはせ、平和の尊さを改めて心に刻むために、町内の慰霊碑を巡ってみませんか。
『旧鶴田町戦没者慰霊碑』『旧宮之城町平和の塔』『旧薩摩町戦没者慰霊碑』は、本紙またはPDF版掲載の二次元コードよりご覧ください。
