- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道札幌市
- 広報紙名 : 広報さっぽろ 2026年1月号
札幌から全国区の人気者となったお笑い芸人「タカアンドトシ」。中学時代にコンビを結成したこの街は、二人の原点です。その活躍は私たち市民にとってちょっぴり誇らしく、親戚のような気持ちで応援している人も多いのではないでしょうか。今回は秋元市長との対談で、30年にわたって切り開いた彼らの成功の軌跡と故郷への思いを、たっぷりと語っていただきました。
実施日:2025年10月24日
会場:市立西岡北中学校(豊平区西岡3の8)
タカアンドトシ/お笑い芸人
中学校の同級生だった2人が1994年にコンビ結成。地元北海道で活動後、東京に進出。2004年の「M-1グランプリ」で決勝進出したほか、2005年と2006年の「爆笑オンエアバトル チャンピオン大会」(NHK総合)で優勝。全国ネットから北海道のローカル局までバラエティー番組を中心に幅広く活躍し、漫才でも舞台に立ち続けている。
“好き”や“楽しい”は、夢中というエンジンを加速してくれる。それはどんな困難や苦労にも勝る、夢への推進力だった。
■相方をスカウト、廊下でコンビ結成!
タカ:僕たちがコンビを組むきっかけになったのが、まさにここ(対談会場である)西岡北中学校での出会いなんですよね。廊下で保健だよりを見ていたトシに「俺と漫才やろうぜ」って、声をかけたのが僕。笑いのつぼも同じだし、とにかく一緒にいて楽しかったんです。プロを目指すなら、相方はコイツしかいない!と。
トシ:僕はプロになりたいとか、まだそんな気持ちはなかったですけどね(笑)。ただ毎日のようにお互いの家を行き来して、遊びの延長線上にお笑いがあった感じです。自分たちの漫才を録画した8ミリビデオの映像を見て楽しんだりとかね。
タカ:テレビに映して見てたな(笑)。僕は思い込みが強くて、将来はお笑いの道に進むんだって決めていました。学校の先生に「簡単じゃないよ」と言われたこともありましたけど、当時大ファンだった俳優の牧瀬里穂(まきせりほ)さんに会うためには芸人になるしかないと、これも思い込み(笑)。根拠はないけど「絶対、芸人になるんだ」って信じていました。
市長:私も子どもの頃、漠然と「将来はこうなりたい」と思っていたことはありましたが、なかなか絞り込むことができませんでした。そういう人も多いと思いますが、なぜお二人は若くしてお笑いのプロを目指す決断ができたのでしょうか?
タカ:やっぱり「好き」とか「楽しい」という気持ちがあったからだと思います。よく「下積み時代は大変だったでしょう」「売れるためにどんな努力をしたんですか」なんて言われますけど、大変とかつらいとかは全然なくて。
トシ:ただ「スベるのはイヤだ」「あの舞台に立ちたい」、その一心で漫才の練習をしていました。
■楽しいことは続けられる
タカ:下積み時代に将来への不安がなかったと言ったらうそになります。でも芸人を目指す仲間には面白い人たちがいっぱいいて、そんなことを忘れてしまうぐらい毎日が楽しかったんです。だから「錦鯉(にしきごい)」の長谷川(はせがわ)※みたいに、50歳まで芽が出なかったけど芸人を続けているヤツもいる(笑)。
※札幌出身のお笑い芸人
トシ:好きなことや楽しいことに夢中になっているうちに、気付いたらここに立っていた…そんな感覚です。僕たちの場合は、両親が「自分の好きなことをやればいいんじゃない」と、活動を後押ししてくれていたことも大きかったですね。
市長:お二人のお話を聞いて、若い世代がいろいろなことに挑戦したり、心から「好き」「楽しい」と感じられることを見つけられる環境が大切だと改めて感じました。みんなが挑戦できて、夢を持てるように、そして周りも温かく見守ってあげられるような基盤づくりに市としても取り組んでいきたいですね。
トシ:好きなことを見つけて、続けられる環境があるのは、それだけで幸せなことだと思います。もちろん僕らの世界は売れたら最高ですけどね(笑)。
タカ:加えて、僕は父から「三浦君(トシ)に会えたことが幸運、奇跡だな」って、いつも言われています。確かにトシが転校して来なかったら「タカアンドトシ」は生まれていないし、違う相方とやっていてもうまくいかなかったかもしれない。本当にちょっとしたボタンのかけ違いでまったく違う人生になっていたかと思うと、人の縁ってすごいですよね。仲良くなりたいと思ったら、迷わず一歩踏み出してみたら良いと思います。
問合せ:広報課
【電話】211-2036
