文化 戦後80年企画 対岸から樺太を見つめて

令和7年は太平洋戦争の終結から80年を迎えます。稚内市の対岸に望む旧樺太では、終戦間際に当時のソ連軍が進攻し、多くの人々が戦火に追われ、命からがら稚内へと引き揚げてきました。そこには、家族を失い、故郷を奪われた人々の深い悲しみと苦しみがありました。あの時、何が起こったのか。私たちはその記憶をどう未来へ伝えていくべきか。第4回目は樺太西海岸、真岡町で起きた電話交換手の集団自決について、元同僚である栗山知ゑ子さんの証言を紹介します。戦争の悲惨さ、故郷を追われた切なさ、そして命をつないだ想いに耳を傾けてください。

■電話交換という仕事
「本当に懐かしいです。みんな女性だから、結婚したり、学校に通ったりして辞める人も多かった。そのたびに記念として写真を撮りました。」
栗山さんは樺太で撮影された集合写真を机に広げ、当時を振り返りました。
「この時、私は17歳です。真岡郵便局の電話交換手の中では年下の方でした。まわりはお姉さんばかりだったから、たくさん教えてもらいました。」
当時の電話は、今のように番号を入力すると相手に自動でつながる仕組みではなく、電話交換手が手動で電話回線をつなぎ合わせていました。
「ブレスト(ヘッドホン型送受器)をかけて、電話が来たら応答して。50番だったらこっちにコードを挿す。230番だったらこっち。目の前にたくさんの穴があって、目がくるくるする。そういう仕事でした。」
インターネットなどの技術が無いこの時代、電話は最も早く情報を伝える手段の一つであり、特に戦渦の中では、極めて重要でした。電話交換手たちの仕事は情報の命綱だったのです。

■朝 静寂を破る砲弾
終戦から5日経った昭和20年8月20日の朝、樺太西部の真岡町は霧で包まれていました。
「7時ぐらいだったかな。海の方から「ドカン、ドカン」という音が聞こえました。艦砲射撃でした。ガスがかかっていて、海の奥にいるはずのソ連艦は見えなかったけれど、砲弾が4つずつ、何列も並んで飛んでくるが見えました。」
終戦を迎え、親に引き揚げを懇願されていた栗山さんは、数日前に真岡郵便局を退職。20日は引き揚げの手続きをするため、一人で役場へ向かっていました。
「海からソ連兵が来ると思い、山の方へ逃げました。防空壕に入り、そこから地面や建物に砲弾が突き刺さって、爆発する様子を見ていました。そのたびに防空壕内も大きく揺れて、その時ばかりは仏さんに「南無阿弥陀仏」と、何度もすがりました。」
実弾が飛び交う中、栗山戦渦を逃れるため、大都市の豊原へ避難し始めました。

■電話交換手の最後
その頃、真岡郵便局は建物が被弾するなどの被害を受けていました。その中にあっても、夜勤に入っていた電話交換手の女性12人は、情報伝達という手段を守るため、業務を継続していました。
「私達電話交換手は、勤務中は絶対に逃げないからね。私が豊原から戻ってきて、お姉さんたちが亡くなったと聞いたときは、本当に痛ましかった。私もあの人たちと同じ班にいたので。どうして亡くなったのさって。」
12人の電話交換手のうち、9人の方が服毒により亡くなりました。自ら命を絶った9人は「九人の乙女」と呼ばれています。
「私は、劇薬をしまってあるとか、万が一の時にはそれを飲むだとか、そういうことを聞いたことが無かった。お姉さんたちで相談していたのかな…。」
栗山さんが見つめる写真の先には、「九人の乙女」の一人、伊藤千枝さんが映っていました。

■毎年通う平和祈念祭
「九人の乙女」が自決した理由については、さまざまな意見がありますが、今も正確にはわかっていません。しかし、いずれにせよ、彼女たちが戦争の犠牲者であることには変わりありません。
稚内市では、対岸に見える樺太で亡くなった方々に御霊安かれと祈りをささげ、恒久平和を祈念するため、昭和38年から毎年8月20日、「氷雪の門・九人の乙女の碑平和祈念祭」を開催しています。
栗山さんは、毎年、自宅のある和寒町から平和祈念祭に足を運んでいました。
「祈念祭に行くと元気が出るんです。あの人たちと話はもうできないんだけど、並んだ遺影を見ると懐かしくて。日勤のとき、夜勤のとき、いろいろ思い出します。ジャガイモやおかゆを炊いて、みんなで食べたりね。オルガンを弾いたり、それを聴いたり。本当にお世話になった人たちでした。」
新型コロナウイルスの感染拡大以降も平和祈念祭は規模を縮小して実施され、栗山さんも感染予防をしながら訪れていましたが、体調を崩され、令和4年8月にお亡くなりになりました。生前、「九人の乙女」が自決したあの場に、一緒にいたらどうしたかという質問に、栗山さんは次のように語りました。
「きっと薬を飲んでいると思います。やっぱり、みんな一緒だから。」
戦後80年を迎えた今年も、九人が亡くなった8月20日に平和祈念祭が執り行われます。

問い合わせ:市社会教育課社会教育グループ
【電話】23-6520