くらし 市民編集企画 日中友好平和不戦の碑-中国から連れてこられた労働者-

市民編集委員:美唄市郷土史研究会 福田征機

第二次世界大戦中の1944年7月から、中国人労働者が三菱や三井炭鉱事業所に連れてこられました。外務省管理局によると、三菱鉱業美唄鉱業所289人、鉄道工業美唄出張所415人、三井鉱山美唄鉱業所597人となっており、連行された人たちは三菱美唄は旭台の「大和(だいわ)寮」、鉄道工業は盤の沢の「興亜建設隊寮」、三井美唄は奥の谷間の「明華寮」へそれぞれ収容されました。中国人労働者は、他の労働者とともに炭鉱で出炭増産に身を挺(てい)し、過酷な労働を強いられました。美唄へ連れてこられた中国人労働者は、中国の港からの乗船時は1,301人いましたが、途中で逃亡や死亡などにより、美唄に着いたときは1,250人まで減っていました。乗船中を含め282人が死亡し、残留を希望した方を除き無事帰国できたのは1,015人でした。
1997年から、中国人を強制連行した企業に対し損害賠償を求める裁判が起こされ、最高裁は強制連行の違法性と責任を認めながらも「時効の壁」により請求を認めませんでしたが、2016年に三菱マテリアルが人権侵害を認め、元労働者3,765人を対象にした和解が成立しています。
2024年9月22日、北海道へ強制連行された1,637人の中国人労働者と、犠牲となった357人を慰霊する「日中友好平和不戦の碑」が美唄市盤の沢中央に建てられ、除幕式が行われました。中国からの遺族43人を含む約100人が参列し、鎮魂の思いをささげました。
この記事をきっかけに、負の歴史に目を背けず学び、検証し、今を生きる者の責務として正しく歴史を後世に継承する契機となればうれしいです。

■碑文(中国語と日本語で表記)
第二次世界大戦中、日本国政府の閣議決定「華人労務者内地移入に関する件」に基づき、約3万9,000人の中国人労働者が日本に強制連行されました。その一部である3,765人の中国人労働者は、三菱マテリアル株式会社の前身である三菱鉱業株式会社及びその下請け会社がその事業所に受け入れ、劣悪な条件下で労働を強いられました。この間、722人という多くの中国人労働者が亡くなりました。北海道には1,637人の中国人労働者が配属されましたが、357人の中国人労働者が亡くなられました。(中略)『過去のことを忘れずに、将来の戒めとする』私たちは、未来永劫日本と中国の友好関係が発展していくことを願い、二度と過去の過ちを繰り返さないよう、「歴史・人権・平和の碑」を建立し、この事実を次の世代に伝えていくこととします。

2024年9月
「歴史・人権・平和」基金
「日中友好平和不戦の碑」建立北海道委員