- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道上富良野町
- 広報紙名 : 広報かみふらの 2025年7月10日号
先日、久しぶりにとある温泉に行った。昔からある立派な岩風呂は今も健在で相変わらずの雰囲気を醸し出していた。実はこの岩風呂、30年ほど前には男女の仕切りがなかったことを思い出す。「裸はいつから恥ずかしくなったか(中野明 筑摩書房)」によると、江戸時代には男女混浴が『当たり前』だったらしい。
「裸でいることが恥ずかしい」という感覚が共有されるようになってきたのはなんと明治以降の話で、それまでは男女問わず、街中でも裸でウロウロしている人たちがいたとのこと。欧米列強を意識した明治政府が混浴を禁止したことから、街中の銭湯から混浴が消えていったというから驚きだ。どうやら温泉地ではその風習が残ったということらしい。「裸でいることが恥ずかしい」という『当たり前』に限らず、「普通…だよね~」と語られる『当たり前』の大半は、本能ではなく後天的に与えられたもの。その場所や時代に暮らす人々の営みによって、まったく異なることがあるのは忘れがちな真実だ。いわゆる「いい子ちゃん」の様子を見ていれば、今、大人が子どもに要求している『当たり前』が何かがよくわかる。見方を変えれば、そのような『当たり前』をどうしても上手にできない子どもたちが、「その『当たり前』は本当に『当たり前』でなければならないのですか?」と大人たちに問うているように見えることもある。社会に出たら困るから…と言う人もいる。しかし、今の時代、社会に出たらいろんな人がいて、いろんな生き方があるのは周知の事実。必ずしもどこかの組織に勤めないと生活できないということでもないだろう。なんでも子どもたちの好き放題にさせたらいいという話ではない。その子のためというより、さまざまな大人側の事情でそんな『当たり前』に過度にこだわることで、何よりも大切な子どもとの信頼関係を犠牲にしていることはないだろうか?「男女問わず、異性の前で裸でいることが恥ずかしいことではなかった…」なんて話を聞くと、今、大人たちが『当たり前』だと信じてやっていることが、そうでなくても実はなんともない…そんなことがたくさんあるのではないだろうか…真っ裸でゆったりと岩風呂につかりながらそんなことを考えている私でも、さすがにちゃんと服を着てから外に出るのがなんだか滑稽だ。
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