- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道音更町
- 広報紙名 : 広報おとふけ 令和8年1月号
懐かしい写真などを見ながら、かつての「音更」を思い出す、「おとふけ回想録」。
あの頃の音更にはどんな風景があって、何をしていたのか。思い出は人それぞれ違うものです。長く音更に住む人たちに集まってもらい、思い出話を座談会形式で語ってもらいました。
司会(上野山、以下司):今日は、駒場地域にお住まいの皆さんにお集まりいただきました。
五十嵐卓雄さんは80歳(以下五)、青木伸吾さんは45歳(以下青)、佐藤健司さんは44歳(以下佐)、重堂聡さんは54歳(以下重)、平子勇輔さんは50歳(以下平)ですね。よろしくお願いします。
まずは、皆さんがお持ちの駒場地域の思い出、そして駒場小学校が開校120周年となりますが、小学校時代のお話を聞かせてください。
■駒場地域にあったお店
五:今では懐かしい思い出ですが、昔はお店がいっぱいありました。昭和26年ごろまでは、馬具屋もありましたし、昭和43年ごろまでは薬局もありました。その他にも、食堂やラーメン屋、最近までは呉服屋もありました。また、平成16年までガソリンスタンドを私が経営していました。
重:近くで給油ができたので、とても便利でした。
■駒場駅の思い出
五:駒場駅が人や物の流れを生み、地域の発展につながってきました。スズランの花がいっぱい咲いていたので、国鉄が主催したと思われるスズラン狩り列車が運行されて、多くの人が訪れていました。
青:小学校1年生のころですが、国鉄士幌線の廃線前に、列車に乗って上士幌町糠平まで行ったことを覚えています。
五:大正14年に駒場駅ができましたが、当時の七軒長屋をご存じですか。現在の駒場市街の南側に7戸の集落があり、これをなぜか七軒長屋と呼んでいました。長屋の住民は、十勝種馬牧場、現在の家畜改良センターの職員でした。
重:七軒長屋は、知らなかったです。
■お祭りの思い出
五:夏になると、ビアガーデンと盆踊りでにぎわいますが、音更町で最初に盆踊りを行ったのは駒場地区です。今日、集まっている皆さんも協力してくれますが、開催当初は、家畜改良センター職員や商工会の青年が手伝ってくれました。
お店でおでんを提供するのに、割り箸を削るのが大変でしたが、終わればジンギスカンを囲んで打ち上げをした良い思い出が残っています。
平:これからも続けていきたいですね。
■駒場小学校の思い出
佐:1番の思い出は、真冬の2月でしたか、校舎全体を使って鬼ごっこをしたことです。図書室に隠れていた友達が最後まで見つからなかった記憶が今でも残っています。
青:私は、学校敷地内でキャンプをしたことです。同級生と協力してテントを張り、ご飯を食べ、夜には肝試しもしました。
五:僕のころは、トイレが男女兼用でした。あとは、体育館がなくて、教室をつなげて体育館にしていたのと、校舎にコウモリがいたことを覚えています。
■小学生時代の遊び
青:柳の木を蹴ったらクワガタがたくさん落ちてきて、いっぱい集めました。今は気候、特に暑さが変わったのか、クワガタを見なくなりましたね。
佐:漫画雑誌やプラモデルなどがいつでも買えるお店は、駒場にはなかったです。特に、漫画雑誌には思い出があり、音更や木野の両市街よりも1日遅れで入荷するので、待ちきれない場合は、親に頼んで車を出してもらい、音更市街や木野市街まで買いに行きました。
青:冬は、雪山でそり滑りやミニスキーもしました。
五:僕が子どものころは、川にウグイがいっぱいいて、カジカも釣れましたよ。
平:釣れた魚は、食べたのですか。
五:さすがに、食べはせずに、川に戻しましたよ。
■少年団活動の思い出
青:僕が小学生のころは、駒場郵便局の局員が、野球少年団の指導者を務めていましたね。
佐:僕や青木さんの小学生時代と比べて、今はスケート少年団のみでとても寂しいですね。
それでも、駒場小学校に通う子ども達には、これからも元気に活動してもらいたいです。
写真などから思い出すことは人それぞれ違うはずです。皆さんも家族や友人と、かつての音更を懐かしみ、思い出話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか。
問合先:
生涯学習センター【電話】42-4099
役場秘書広報課広聴係【電話】内線219
