文化 このまち大好き!芽室の歴史探訪

■その119
「真正寺」めむろ歴史探訪会 右谷征靖
「坂の上神社」めむろ歴史探訪会 丹代眞理子

▼「真正寺」
明治三十年富山県から朝日観応が伏古中島に入る。
観応は明治三十七年九月美生村基線一一二番地日甜工場前国道北側:に真宗大谷派布教師として美生説教所を開設したが、明治四十一年朝日住職がこの地を去る。
明治四十三年一月坂口法忍が跡を継ぎ熱心に布教に務めたので壇信徒も増え、明治四十四年当時の総代と相諮り寺号を出頭し、明治四十五年一月「真正寺」の公称を得て法忍が初代住職となる。
法忍の跡を次男の締忍が継ぐが、太平洋戦争に召集され昭和二十年沖縄で戦死したため職務代理者として西士狩鳳恵寺の小山大鎮が務めていたが、選任住職の不在は、寺の維持管理が難しいこと、後継者が見込まれないことから昭和二十七年九月二十一をもって廃寺となった。

▽引用・参考文献
「風雪百年下美生史」平成七年

▼「坂の上神社」
明治三十四年芽室村大字上伏古十一線三十四番地に上伏古神社として天照皇大神を奉祀し、祭典を行ったことに始まる。明治四十年、十一線三十三番地に新築移転した。神官は山田庄松。
大正元年、十線五十八番地に移転したが、同九年に十線五十三番地の現在地に移転する。神官は後藤九左エ門。
昭和十一年、無各社創立が許可される。
昭和二十八年、宗教法人になり、森本幸月が社掌を務める。
昭和三十三年、神殿、拝殿の改築を行い、九月、落成式遷座祭を行う。
昭和三十四年、後藤十一代理宮司が代理を務める。
昭和三十五年、森本常良芽室神社宮司が務める。
昭和五十三年、神殿・拝殿改修工事を行う。
平成十九年より赤澤一が社掌にあたり、現在に至る。

▽引用・参考文献
「坂の上史」昭和五十八年