文化 定信紀行 第八話 兼六園(けんろくえん)のこと

寄稿 市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)

日本三名園のひとつである石川県金沢市に所在する名勝「兼六園」、その園名はこれまで長い間、松平定信(まつだいらさだのぶ)が命名したものであるとされてきた。
しかし、近年になって定信の日記(『花月日記(かげつにっき)』文政5年9月20日条)に「加賀の太守(たいしゅ)より額字をこふ、兼六園とて、たけ三尺に横九尺也(なり)」と記載されていることから、定信は加賀藩主前田斉広(まえだなりなが)より兼六園の額字揮毫(きごう)の依頼を受けてその額字を書いたのみであったということが明らかとなった。定信65歳の時であり、額の大きさは縦107センチ、横275センチとかなり大きなものである。
中国宋(そう)時代の作庭に関する文献『洛陽名園記(らくようめいえんき)』に兼ね備えることが難しいとされる「宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)」の六つの要素が記述されている。この六要素をすべて兼ね備えれば名園となるという意味で「兼六園」と名付けたとされる。前述の定信日記の続きにも「園を設(もう)くるに得難きもの六つあり」と記されている。
現在、定信揮毫による「兼六園」扁額(へんがく)は同園に隣接する生活工芸ミュージアムに展示されているが、かつては金沢城内から兼六園への入口である蓮池門(れんちもん)に掲げられていた。
いずれにしても、加賀前田家から兼六園の額字揮毫の依頼を受けるほど、当時の定信は著名な庭園家としても広く知られる存在であった。

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