- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和7年11月号
(な)
中山義秀(なかやまぎしゅう)
孤高(ここう)の文士(ぶんし)
文学賞(ぶんがくしょう)
「孤高の文士」と称される中山義秀(1900〜1969)は、岩瀬郡大屋村(現在の大信地域)で生まれました。大学卒業後は中学校で英語教諭として勤務する傍ら執筆活動をしますが、なかなか評価を得ることができず、退職や妻の病気、生活の貧窮などが重なり、不遇の時期を過ごしました。
しかし苦節15年、38歳にして、ついに光明が差します。1938年に発表した、2人の老人をめぐる人生の葛藤を、菊の花を配して描いた作品『厚物咲(あつものざき)』で、第7回芥川賞(あくたがわしょう)を受賞します。
さらに翌年、陣屋侍だった自らの祖父たちの生涯を綴(つづ)った『碑(いしぶみ)』の発表により、文壇での地位を確固たるものにしました。当時の文学界を風靡(ふうび)していたプロレタリア文学やモダニズム文学の波に乗ることができなかった義秀ですが、両作品により独自の文学世界を創作するに至りました。
義秀は作品の中で、人生の敗残者や、自己を生きるために偏屈者として憎悪されるような人間を好んで取り上げました。
時代は高度経済成長期。成功者がもてはやされ、敗残者や偏屈者が追いやられる世の中で、社会の軽薄な風潮に迎合することのない「反骨」の精神が、義秀の筆先に宿っていました。
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