- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県三春町
- 広報紙名 : 広報みはる 令和7年7月号
要田村は、明治22年に熊耳村・南成田村・北成田村・笹山村(現田村市)・荒和田村(現田村市)の5つの村によって誕生し、村名を「熊耳村」とする案もありましたが、扇を一つにまとめる要(かなめ)にあやかり、小字だった「要田」の名称から、新たな村名を希望したといいます。
末広がりの扇のかなめ、というのは建前だけの話ではなく、この地区は明治18年以降、三春町から熊耳を経て片曽根村(現田村市船引)・常葉・都路を通って富岡へ行く、今でいう国道288号線の原型ともいうべき道を、沿線の村々と連合会を結成して大改修し、明治38年以後は沢石村と本宮街道を整備、田村郡内の交通の要衝としての立場を強く打ち出します。
大正3年には、要田は富岡や移、川俣への街道の分岐点でもあり、貨物の集散地として非常に適していると、要田駅設置の請願が行われます。開設は、昭和24年まで待たなくてはなりませんが、奥州街道に出ず、まっすぐ川俣方向へ運ばれた繭などをはじめ、東北本線ができても、郡山を通らずに運ばれた物産も多かったことから、郡山駅直結の三春駅とは異なる役割が期待されたのです。要田駅設置には、沢石村の協力もありました。
残念ながら、要田村の旧役場文書には、明治期の文書があまり残されていません。合併直後の県の報告書では、「(5つの村が)常に共同事業を興し、自ずから行政と議政の機関もまた円滑」とされており、新たな村作りに意欲的に臨んでいるようすがうかがえます。