文化 古河歴史見聞録

■土井利位の愛刀 名工たちのコラボレーション
○雪華の刀装
昨年3月にさかのぼりますが、古河市は貴重な文化財を購入しました。
それは、古河藩主自らの監修で、製作に関わる工人(こうじん)を厳選し完成させた大小の刀とそれを収める刀装具。雪の結晶をモチーフに後藤一乗(ごとういちじょう)らの金工家によって生み出された精巧な細工は、唯一無二の存在といっても過言ではありません。当館では、古河の歴史と文化に深く関わる本品を公開する企画展「雪華(せっか)の刀装」(会期:3月15日(土)~5月6日(火))を開くことになりました。

○日本で初めて雪華観察を行う
古河史に数ある「日本初」、その中でも『雪華図説』は、天保3(1832)年、日本で初めて発行された雪の結晶観察図鑑として知られています。183種におよぶ雪の結晶を正続2冊に収載するこの自然科学書の著者は、古河藩主の土井利位(どいとしつら)。政治的手腕にも優れ、天保年間の江戸幕府老中として国政の中心を担った人物でした。
実験設備のない冬の寒空の下、利位は、20年以上にわたり早朝から雪を待ち続け、氷点下の環境で自然の摂理を正確に捉え続けています。その根気強さと観察に対する高い集中力は驚嘆に値するといってよいでしょう。開始の時期と場所こそ詳(つまび)らかになりませんが、文政11(1828)年以降は江戸・京都・大坂の三都で観察しています。

○拡散する雪華図
当初、勧められるままに観察を始めた利位は、顕微鏡を通して対峙(たいじ)する雪の結晶に美を見出(いだ)し、その旺盛な探究心によって雪華文様のスケッチを重ねていったのでしょう。そうした腐心を重ねて集められた観察図は、すぐさま話題となって、公家、大名、旗本らの間に広まりました。
たとえば『甲子夜話(かっしやわ)』、文政4年に隠居した平戸藩主の松浦静山(まつらせいざん)の随筆として著名ですが、そこには、二度にわたり土井利位の観察した雪華図に関する記述が確認されています。文政13年頃の初出部分に「林檉宇(はやしていう)(大学頭・幕府儒官林述斎(はやしじゅっさい)の子)の話では、古河侯の土井大炊頭(おおいのかみ)(利位)は降雪のたびに雪片を拾って検点していたが、いずれの形状も異なるためその図を版刻した。予(静山)もその図を入手したが、これは顕微鏡(むしめがね)で見たものではなかろうか」と記されるのでした。「版刻」された原物は伝わりませんが、静山が書写する28種類の雪華図を見ると、すでに利位ブランドとして雪華文様が拡散されていることに気付かれるでしょう。

○コラボ導く土井利位
受容される雪華図説の気運に乗った土井利位は、その後、栄転を重ねて天保9年に西丸老中、その翌年には本丸老中に昇進しています。
利位は、刀工の固山宗次(こやまむねつぐ)、金工家の後藤一乗、後藤光美(みつよし)、乙柳軒味墨(おつりゅうけんみぼく)、鉄砲鍛冶の国友一貫斎能当(くにともいっかんさいのうとう)という高い技術を持つ工人たちを集め、天保12年、自ら観察した雪華文様をふんだんに散らした刀装具の製作にあたらせました。このとき完成した大小の刀と雪華の刀装具は、いわば利位の趣向で集められた稀代の名工によるコラボレーションが生み出した優品というべきものであり、散逸することなく伝わって、古河市所有の文化財になった次第です。
天保改革開始の年にコラボで誕生したこの逸品、満開のハナモモ見物にあわせて、土井利位が創造する雪華繚乱(りょうらん)の世界をお楽しみくださればありがたく存じます。

古河歴史博物館学芸員 永用俊彦