- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県常陸大宮市
- 広報紙名 : 広報常陸大宮 2025年6月号
◆富士山古墳群第13号墳の測量調査
本稿では、市史編さんの一環として筆者ら考古部会古墳時代担当が測量調査した富士山古墳群第13号墳(以下「13号墳」)を紹介したいと思います。
富士山古墳群は市の南東部の台地の南端部に位置しています。国道118号で水戸方面から市内に入ると、玉川を渡ってすぐの右手の台地の突端部にあります。13号墳は、台地に上がり切った右手奥の、山林との境界にあります。左側に大型商業施設がありますが、ちょうどその反対側になります。
この古墳は数年前まで知られていませんでした。
教育委員会の職員が城郭の分布調査のため、赤色立体地図を見ていて古墳のようなものに気が付いたことから、現地で確認したところ、墳丘長50mクラスの前方後円墳(当時の認識)と思われました。このクラスの前方後円墳が市街地のすぐ近くに人知れず存在したことに驚きました。
市史編さんのうえでもこの古墳のデータは必要と考え、測量調査をすることとしました。調査は2023年の4~5月に実施しました。
その結果は驚くべきものでした。墳丘長50mの前方後方墳だったのです。前方部は未発達で、古手と考えられました。すでに富士山古墳群には4号墳という前方後方墳があり、県内でも最も古い古墳の一つと考えられています。13号墳は、墳丘形態からそれと前後する時期の前方後方墳と考えられました。
古墳は3世紀半ばから7世紀にかけて造られた豪族や有力者の墓です。古墳はだれでも造れたわけではなく、ヤマト政権の支配下に入り、許された者だけが造れたと考えられています。ヤマト政権は日本列島の大部分を支配下におさめた初期国家であり、古墳時代は国家形成期にあたります。国家形成期において、前方後円墳や前方後方墳といった墳形やその規模は、政権内の身分や地位、つまり支配体制を具体的に目に見える形で示していると考えられています。前方後円墳を頂点とする古墳の存在は、いわば国家そのものを可視化していたとも言えます。
4号墳や13号墳の存在は、国家形成期の早い段階でこの地域がその体制に組み込まれたことを示していると言えるのです。
考古部会専門調査員・常陸大宮市教育委員会
文化スポーツ課
萩野谷 悟
『常陸大宮市史 資料編1考古』刊行記念シンポジウム「古代の常陸大宮―古墳時代、奈良・平安時代の遺物から考える―」が7月21日(月・祝)に予定されており(12:30~15:20、常陸大宮市文化センター・ロゼホール小ホール)、その中で「常陸大宮の古墳文化―最近の調査から―」と題して筆者が報告します。
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