文化 小美玉市の歴史を知ろう73

■美野里地区で初めて発見された弥生時代の住居跡
◇並木新田台北(なみきしんでんだいきた)遺跡の調査
並木新田台北遺跡は、竹原坂下農村集落センター西側の小美玉市大谷字並木新田台に所在し、園部川左岸の標高20~25mの台地縁辺部に立地しています。
発掘調査は、常磐自動車道石岡小美玉スマートICから茨城空港を結ぶ道路整備事業に伴い、平成29年に茨城県教育財団が行いました。
調査の結果、縄文時代の土坑7基、弥生時代の住居跡1軒、古墳時代の住居跡11軒などが確認されました。主な遺物は、縄文土器、石器(鏃(やじり)・磨製石斧・敲石(たたきいし)・磨石(すりいし))、弥生土器、土師(はじ)器、木製品、金属製品(鏃・鎌)、土製品(土玉・支脚)などです。

◇弥生時代とは
日本で食糧生産が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代を弥生時代としています。本州全体が稲作を行うようになった頃を弥生時代の始まりとすれば、紀元前300年から紀元250年頃までの約550年間が弥生時代と考えられます。
鹿嶋市で水田跡が発見され、ひたちなか市の東中根遺跡の住居跡からは炭化米が出土していることから、茨城においても弥生時代に稲作が行われていたことは確実です。

◇弥生時代の住居
並木新田台北遺跡では、美野里地区で初めて、弥生時代の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)が発見されました。規模は7.6m×5.3mと比較的大型です。形状は隅丸長方形で、入口の柱穴は南寄りにあり、住居を縦長に使用していたようです。主柱穴は4か所確認され、炉はほぼ中央にあります。
この時期の集落は、住居3~5軒ぐらいで、一つのグループを構成していました。台地は、調査区の北側、南側に広がっているため、当遺跡においても何軒かの住居があり、集落を構成していたと思われます。

◇当地域の弥生後期の土器
当遺跡の弥生土器の特徴として、口縁部にコブ状の突起(とっき)があること、頸部(けいぶ)に波状や横走する櫛描(くしがき)文が施されていることが多いことなどが挙げられます。これらは、茨城県西部から栃木県東部に分布する二軒屋式(にけんやしき)土器の特徴です。
当遺跡の土器の櫛歯数は8~10本と多く、胴部の縄文が羽状構成であることから、後期後葉に位置付けられます。茨城県中央部から北部を中心に分布する十王台式(じゅうおうだいしき)土器の始め頃の土器に並行し、時期は2世紀末葉と考えられます。
(市文化財保護審議会会長 海老澤稔)

○語句解説
二軒屋式土器:栃木県宇都宮市二軒屋中原遺跡を標識とする弥生時代後期の土器型式。コブ状突起や多条櫛描文が特徴的。

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