イベント さくら市ミュージアム 第107回 企画展

■鎌倉公方足利氏の至宝 喜連川家文書
10月18日(土)~12月21日(日)

▽「喜連川家文書(きつれがわけもんじょ)」とは
江戸時代に喜連川を治めていた喜連川足利氏に代々伝わっていた系図や手紙・書類などの文書で、喜連川足利氏8代恵氏(やすうじ)が天明元(1781)年までに整理・保存し『天明元年目録(てんめいがんねんもくろく)』にまとめた歴史的な資料を総称して「喜連川家文書」と呼んでいます。明治時代に分散してしまいますが、15代惇氏(あつうじ)氏がもう一度集め直し、昭和57(1982)年に旧喜連川町へ寄贈し、現代まで守り伝えられてきました。
「喜連川家文書」に記されていた内容は、室町時代から戦国時代に関東を治めた鎌倉公方足利氏と江戸時代に幕府から特別扱いされた喜連川足利氏の権威・由緒や文化が明らかになる貴重なものです。
その文書の歴史的価値が認められて令和7年3月、県指定有形文化財に指定されました。

▽「喜連川足利氏(きつれがわあしかがし)」とは
喜連川足利氏は、室町幕府を開いた足利尊氏(たかうじ)を先祖にもち、尊氏の子で鎌倉公方初代基氏(もとうじ)を始まりとする家です。「公方(くぼう)」とは、「将軍」や同等の地位にある人を指す言葉として室町時代ごろから使われています。基氏やその子孫は「鎌倉公方」として東国を治め、権力争いから古河(こが)(茨城県)に移り「古河公方」となり、さらに古河と小弓(おゆみ)(千葉県)に公方家が分裂しても権力・権威を持ち続けました。
豊臣秀吉が天下統一した頃には、存続の危機にありましたが、政治体制の変化や島子の尽力により、喜連川の地を与えられ「喜連川足利氏」として存続が認められました。

▽ココがすごい!喜連川家文書
〔その1〕書状(手紙)がもらった時の姿そのまま
約470年前の室町将軍13代義輝(よしてる)からの手紙です。右側の端は下から半分まで切れています。これは「切(き)り封(ふう)」と言って畳んだ手紙の端を切って止めたもので、切り封が残ることは大変貴重です。
〔その2〕資料の内容から室町時代・戦国時代の東国(関東)の歴史がわかる一級の史料
約430年前の豊臣秀吉からの手紙です。贈り物へのお礼と喜連川足利氏初代国朝(くにとも)が朝鮮出兵に行く途中で亡くなったことへのお悔みを、国朝の父である頼淳(よりあつ)に伝えています。最後の行の宛名に「鎌倉」と書かれており、室町時代以来の「鎌倉公方」足利氏末裔(まつえい)として秀吉が公認していたことがわかります。
〔その3〕江戸幕府に引き継がれた足利氏の儀礼
江戸幕府将軍8代徳川吉宗(よしむね)にも提出された、室町時代に足利氏がおこなった儀礼をまとめたものです。鎌倉公方の年中行事や元服などの通過儀礼などは大名家を統制するために江戸幕府も取り入れました。

今回の企画展では、前・後期に分けて、栃木県指定有形文化財に指定された「喜連川家文書」を展示します。歴史上有名な人物からの文書や初公開の文書など足利氏を語る一級の資料を間近に見られる特別な機会です。ぜひお越しください。企画展の詳しい情報は36ページをご覧ください。

問合先:ミュージアム
【電話】682-7123