- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県行田市
- 広報紙名 : 市報ぎょうだ 令和7年5月号No.947
■資料がかたる行田の歴史74
▽葬送儀礼に使われた須恵器
郷土博物館常設展示室「古代の行田」の中央に展示している酒巻8号墳(前方後円墳)から出土した須恵器について、最近再修復した際に分かったことを紹介します。須恵器とは、古墳時代に朝鮮半島から作り方が伝わり、窯を使って1000〜1200度の高温で焼き上げた灰色の硬い土器のことです。
酒巻8号墳の須恵器は、昭和57(1982)年の暗渠(あんきょ)敷設工事中に発見されました。前方部付近の円筒埴輪列の脇から大甕(がめ)・中甕(がめ)・横瓶(よこべ)などがまとまって出土し、酒巻8号墳の葬送儀礼が執り行われたと考えられます。その後、バラバラに割れた状態で出土した須恵器を組み合わせて接着し、破片が足りない部分を石こうで復元・補強しました。復元から月日が経ち、接着部分や石こう部分が劣化してきたことから、石こうを全て取り除き、破片を組み合わせたところも全て取り外して、再接着して樹脂で復元・補強し直しました。
その際、大甕胴部の一部に隙間が空いて繋がらない部分が確認されました。基本的に破片断面の中央はあまり熱を受けないことから、赤茶色になることが多いのですが、繋がらない破片断面を観察すると表面と同じ灰色になっていることが確認できました。おそらく窯の中で焼いている最中に胴部が割れて亀裂が入り、そのまま焼かれて断面が灰色になったものと想像できます。当初の復元時、大甕の胴部が少しゆがんだ形態だと感じましたが、今回の修復により亀裂が入っていたためだと理解することができました。
加えて、水や酒など液体を入れる大甕を亀裂が入った状態で古墳まで運び、容器としての機能を果たさない大甕を古墳に供えて葬送儀礼を執り行っていた可能性が高いことも明らかになりました。その他の須恵器にも打撃を加えた痕跡を確認できるものもあります。博物館に展示している実物の須恵器をご覧いただくと、古墳時代の人々がどのように葬送儀礼を行っていたのかを垣間見ることができるのではないでしょうか。
(郷土博物館 篠田泰輔)