- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県行田市
- 広報紙名 : 市報ぎょうだ 令和7年9月号No.951
■資料がかたる行田の歴史78
▽北大竹遺跡―儀礼の場―
近年、北大竹遺跡の発掘調査で6世紀中ごろから7世紀中ごろの遺物が集中した地点が3カ所確認されました。この遺構は何らかの儀礼を執り行ったところか、儀礼に使った道具を片付けて置いたところではないかと考えられています。
この遺跡は大字若小玉・藤原町に所在し、古墳時代から平安時代までの集落を中心とする複合遺跡です。また、古墳跡約50基も確認されており、本遺跡を中心として、墳丘が現存する八幡山古墳と地蔵塚古墳を含む若小玉古墳群が展開しています。
今回紹介する遺物が集中した地点は、令和元年から令和2年にかけて行われた公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団の調査(18次調査)によって発見されました。その地点からは、土師器やさまざまな器種の須恵器、玉類、石製品、石製模造品、鉄鏃(てつぞく)・鉄製模造品などの金属製品が数多く発見されています。日常生活では使われない土器が幾重にも折り重なって確認されました。同時に発見された特筆すべき遺物として、子持勾玉(こもちまがたま)、武器や農工具を模した鉄製模造品、通常古墳に副葬される環頭(かんとう)大刀(たち)柄頭(つかがしら)が挙げられます。特に子持勾玉は、一つの遺跡から確認された個数としては全国で最も多い45個が発見されました。子持勾玉とは勾玉(親)に小型の勾玉(子を表す突起)が複数表現される形状のものです。これは装身具として使用されたものではなく、多産や豊穣を願って作られた儀礼の道具と言われています。
この遺跡の「儀礼の場」は、同じ時期に盛行する埼玉古墳群や、若小玉古墳群を築いた人々が関わって、祈りの儀式を執り行ったのではないかと考えられます。
現在、郷土博物館常設展示室「古代の行田」で、15個の子持勾玉の実物資料と、出土した土師器・須恵器や出土状況の写真などを展示しています。古墳時代の祈りの様子をぜひご覧ください。
(郷土博物館 篠田泰輔)