- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県袖ケ浦市
- 広報紙名 : 広報そでがうら 2025年8月1日発行 第1064号
▽遠藤隆(えんどうたかし)さん(88歳)
昭和12年2月生まれ。飯富で生まれ、子どもの頃に第二次世界大戦を経験する。
◇幼少期のおもいで
戦時中は、根形尋常高等小学校(現在の根形小学校)に通っていました。学校は現在の根形交流センター(根形公民館)の場所にあり、校庭には大きな松の木がありました。先生に叱られると、よく木のそばに立たされたものです。
当時の子どもたちの遊びといえば、日本(東軍)とアメリカ(西軍)に分かれて泥団子を投げ合う「戦争ごっこ」が定番でした。ルールは厳守し、棒などの道具は使用禁止。相手が「参った!」と言ったらそれ以上は攻めず、泣かせるようなことはしませんでした。女の子たちは、ゴム跳びをして遊んでいたのを覚えています。
◇食糧難を乗り越えて
現在の袖ケ浦公園管理事務所付近には、当時製粉工場があり、多くの方々が働いていました。子どもたちが通学途中に、干されたそうめんやうどんをつまみ食いすることもありましたが、職員の方々は、子どもたちがお腹を空かせていることを理解していたので、怒ることはありませんでした。
戦況が悪化すると、農家は兵隊さんの食料を確保するために、自分たちの食料を節約して国へ提供するようになり、私の家族も、さつまいもを四角く切ってご飯に混ぜた「芋飯」を食べて米の消費量を減らしていました。空腹をしのぐために、畑にあったグミの実やさくらんぼなどを友達と分け合って食べたことも、何度もありました。
◇戦争の記憶と助け合い
飛行機の燃料不足を補うために、松の幹から採取した松脂(まつやに)でガソリンを作っている様子を見て、戦争の深刻さを痛感しました。
戦争終盤には頻繫に空襲警報のサイレンが鳴るようになり、その度に防空壕に避難しました。下校中にサイレンが鳴った時は近くの家の防空壕に逃げ込むなど、近所の人たちと助け合いながら避難する日々でした。私の家にも、大きな材木を組み、その上に土を被せた防空壕があり、一緒に防空壕に避難した祖母が「くわばら、くわばら」とおまじないを必死に唱えていたことを覚えています。
また、木に登ってB29を見たこともありました。飛行機がかなり低く飛んでいたため、操縦士と目が合ったのですが、後にその機体が東京大空襲に向かう飛行機だったと知り、B29が小櫃川の河原に墜落したと聞いた時は、友人と見に行きました。搭乗していたアメリカ兵の遺体も見え、戦争で家族を亡くした人だったのでしょうか、遺体に向かって怒りをぶつける人の姿も目にしました。
終戦間際には、寺社の鐘まで供出して鉄砲玉にするほど、私たちの生活は困窮していました。子どもながらに「このままでは、もう無理かもしれない。」と感じることもありましたが、それを口にすることは許されませんでした。
◇戦後の暮らし
戦争が終わったのは、私が小学3年生の頃でした。
終戦後は、アメリカ軍から配給された砂糖で作るカルメ焼きが、貴重なおやつでした。終戦間際と比べると、戦後の食生活は少しずつ豊かになっていったように思います。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が来ると、「ギブミーチョコレート!」「シガレットプリーズ!」といったように片言の英語で話しかけて、ガムやチョコレート、たばこなどをもらいました。たばこは大人に渡し、お小遣いをもらっていました。
ほかにも、湧き水のきれいな近所の用水路で、ドジョウやウナギ、ダボハゼなどを捕まえて食べることもありました。捕まえるための道具を手作りしたり、調理の工夫をしたり、学校では教えてくれないことを学んだ時間だったと思います。
◇未来への願い
私にとって戦争は、人生の中のひとつの試練であったと思います。木更津の海軍航空廠に勤務していた父は、防空壕に飛び込む直前に被弾し、右目を失明しました。これまでのように働けなくなり、代わりに母が働きに出て、私を含め5人の子どもの生活を支えてくれました。当時は地域の人々の繋がりが強く、困ったことがあれば近所の人たちがすぐに助けてくれました。
しかし、最近は地域の繋がりが徐々に薄れてきていて、少し寂しく感じます。子どもや孫たちの世代には、戦争のない平和な時代に、家族や仲間と支え合い、仲良く幸せに暮らしてほしい。それが、今の私の願いです。
■「祈りの日」に黙とうを
8月6日・9日の「祈りの日」に、広島市と長崎市では、原爆被爆80周年の慰霊と、平和祈念の式典が行われます。
また、広島に原爆が投下された8月6日午前8時15分と、長崎に原爆が投下された8月9日午前11時2分に、原爆死没者のご冥福と世界恒久平和を祈念し、1分間の黙とうを捧げます。
平和を願うこの祈りの輪が全国に広がり、「祈りの日」となるよう、黙とうを捧げましょう。
問合せ:地域福祉課
【電話】62-3157【FAX】62-3165
■「平和都市袖ケ浦」を宣言しています
世界の平和は、人類共通の願いです。
豊かで平和な郷土づくりは、恒久平和なくしては達成できません。
私たち袖ケ浦市民は、相携えて
1 基本的人権が尊重される社会
1 子供達の権利が守られる社会
1 暴力やあらゆる差別のない社会
1 環境破壊のない社会
をつくり日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に努めることを誓い合い、ここに「平和都市袖ケ浦」を宣言します。
問合せ:総務課
【電話】62-2104【FAX】62-5916
■被爆写真のパネル展示を行います
戦争を経験した方が少なくなってきましたが、今の平和が、戦争で失われた尊い犠牲の上に築かれているということを、決して忘れてはいけません。
この機会に改めて、平和の尊さと戦争について考えてみませんか。
期間:8月15日(金)まで
場所:
・市役所 中庁舎1階ロビー
・根形交流センター(根形公民館)
問合せ:総務課
【電話】62-2104【FAX】62-5916
■第178回袖ケ浦学「君津地方に墜落したB29について」
市内の戦争の記録から、改めて平和について考えます。
日時:8月23日(土)午後1時30分~3時
場所:郷土博物館 研修室
講師:久野一郎氏(山武市歴史民俗資料館古文書調査員)
定員:40名(申込先着順)
参加費:100円程度(資料代)
申込方法:申込フォーム・電話・窓口
申込期限:8月22日(金)
申込み:郷土博物館
【電話】63-0811【FAX】63-3693