- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県印西市
- 広報紙名 : 広報いんざい 令和7年8月1日号
■戦後80年をむかえて ~印旛飛行場~
現在の印西牧の原駅周辺は、高層住宅や商業施設が立ち並び、多くの人々が行き交っています。その風景からは想像しにくいかもしれませんが、この地域にはかつて「印旛地方航空機乗員養成所(印旛飛行場)」が存在していました。
この地域は「草深原」と呼ばれ、もともと原野や山林が広がっていました。昭和12年ごろに飛行場建設の計画が立てられ、昭和16年4月に養成所が開設、翌年6月に飛行場が完成しました。養成所では、将来の航空機乗員を育てるための教育と訓練が行われました。昭和19年ごろからは、飛行場は陸軍の軍用施設として使われるようになります。敵機の接近に備え、飛行場の拡張工事が始まり、近隣住民も作業に協力するよう求められました。訓練を終えた生徒たちは陸軍航空隊に配属され、過酷な空中戦や特攻作戦に参加することとなります。その結果、若くして命を落とした人々も少なくありませんでした。そして昭和20年7月4日、終戦のわずか1カ月前には、この飛行場自体がアメリカ軍による爆撃を受けました。
現在、印西牧の原駅の近くにある「東の原公園」には、飛行機の形をした砂場があります。少し変わったこの砂場は、敵の攻撃から飛行機を守るために造られた格納庫(掩体壕(えんたいごう))が残る場所であったことに由来し設置されています。また、東の原公園近くの住宅地の一角には、市内で唯一残る掩体壕が1基保存されています。
令和7年は戦後80年を迎えます。過去の出来事を知り、平和の尊さを次の世代へ伝えていくことは、私たち一人ひとりの大切な役割です。