文化 香取遺産(vol.221)

◆扇島十三枚と名薬
扇島地区は南に与田浦、北には茨城県との境界となる常陸利根川が接する水辺の地区です。江戸時代の初めに香取の海に囲まれた沖之島(おきのしま)を徳川家康が新嶋と命名し、香取の海を埋め立てて現在の水路が巡る広大な陸地が形成されました。開発途中の1700年ごろに作成された元禄国絵図(げんろくくにえず)からは、沖之島であった場所に扇嶋や境嶋などの村落が見られますが、現在の新島地区より陸地の範囲が狭いことがうかがえます。現在の扇島の居住域は、開発以前には十三枚又須(じゅうさんまいまたす)と呼ばれていた沖之島の一区画です。
江戸時代から昭和40年代にかけては、扇島地区に存在した接骨医の本世堂が有名であり、医院にはけがの治療のため多くの人々が訪れました。1843年には水戸藩の重臣である藤田東湖(ふじたとうこ)が落馬のけがの治療に訪れ、大正時代には力士に評判が広がり、入院する力士のために敷地内に土俵があったそうです。遠方から訪れて近辺の民家に泊まり通院することもありました。水上交通が盛んな時期には、利根川と霞ヶ浦を伝って評判が伝わり、佐原と潮来間の定期船では医院の近くに停船場が設けられ、津宮からは直行する病院船があるほどでした。いつしか本世堂は十三枚と呼ばれるようになります。
本世堂が製造する湿布薬の「十三枚本世散(ほんせいさん)」も明治時代には東京の神田、茨城県南部と千葉県北部の薬屋で販売されました。現在の湿布薬とは異なり、粉末の薬剤を酒や酢と混ぜ合わせ、紙か布に塗り患部に貼り付けるものです。
なお、この薬にはカッパから作り方を教わったという水辺の地域らしい伝承があり、商品名の十三枚は、使い始めて13枚目にはけがが治ることからともいわれます。

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