文化 先人たちの足跡No.304

■栄町に伝わるヘビの昔話「眼助大師」(四)
(前号のあらすじ…晴れて入門を許され「眼助」という芸名を得た七左衛門。大阪での巡業のため出立した眼助一行は、芝居好きの名主さんの家に一晩泊めさせてもらうことになりました。)
眼助はその夜、十八番(おはこ)の忠臣蔵の定九郎というのを踊ってみせました。みんなは大変感心して、喜んで帰って行きました。
その夜も更けた真夜中のことです。眼助はかすかな音の気配に、ふと目を覚ましました。なんと、眼助の蒲団の中に潜り込もうとしている者がいるのです。眼助は、あわてて飛び起きました。そして、よくよく見ると、それはこの家の名主の娘のお八重さんでした。
踊り上手で男前の眼助に、お八重さんはぞっこん惚れ込んでしまい、みんなが寝静まった真夜中に一人で眼助の部屋に忍んできたのでした。暗がりでもお八重さんの顔が真っ赤になったのがわかりました。眼助は、お八重さんのほうへ向かって座り直すと「あなたが、こうして真夜中に忍んで来てくれたのは、大変有り難く嬉しく思っていますが、実を申すと私は団十郎一座に弟子入りする時、成田山の不動明王に、二十五歳になるまでは女を絶対に抱かないから一人前の役者にして下さいと心願をかけたのです。ですから、どうかそれまで待っていてください。二十五歳になったら必ずあなたを迎えにきますから」と諭しました。
その次の日、一緒に大阪まで付いていきたいというお八重さんを、やっとなだめて出発しました。
それから、一か月ばかり大阪で公演をして、明日はいよいよ千秋楽という日に、あの名主の家から飛脚がやってきました。
「実は名主の娘のお八重さんが、貴方様に恋こがれて、ついに死んでしまいました。お八重さんは、死ぬ間際まで限助、眼助と言っていたので、どうか貴方様も野辺送りをしてやってほしいと名主さんが申しておりました」と言うのです。(つづく)

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