- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県多古町
- 広報紙名 : 広報たこ 令和7年10月号
令和7年(2025年)は、昭和20年(1945年)の太平洋戦争終結から80年の節目の年です。広報たこでは数回にわたって戦争を振り返ります。
◆80年の時を超えて響く鐘の音
塙地区の勝栄山能満寺には、町指定文化財の鐘楼門があります。江戸時代の天保9年(1838年)に建立され、鐘楼(鐘をつるす建物)と山門が一体となった造りをしています。本来ならば、門の上に鐘がつるされているはずなのですが、太平洋戦争の終戦時に姿を消してしまい、約80年も鐘がない状態が続きました。
この度、檀家の皆さんの協力で鐘が設置されることになり、8月6日に設置作業が行われました。80年ぶりに鐘楼門に鐘の姿が戻り、美しく重厚な音色を響かせました。
▽鐘の設置に関わった佐藤潔(さとうきよし)さん
令和元年の台風で鐘楼門の一部が壊れてしまい、町指定の文化財でもあったことから、檀家の皆さんの協力や町の補助金などを活用し、門を直すことになりました。門の修復後、戦前の鐘を知っている方々にまた鐘の音を聞いていただきたいと考え、檀家の皆さんの協力を得て鐘も新たに造ることにしました。鐘の鋳造は北陸地方の業者さんにお願いしましたので、能登半島地震の被災地支援という側面もあります。
前の住職の奥さまが、鐘は戦争で広島に行ったという話をされていました。広島に原爆が投下された8月6日という日に鐘を設置できたことは不思議な縁を感じます。私は戦時中に供出で鐘がなくなったと思っていましたが、当時を知る方にお聞きしたところ、鐘は終戦後しばらくしてからなくなったそうです。これ以上のことは分かりませんでしたが、戦争の道具になることはなかったので、きっと広島の復興のために役立ったのではないかと思います。
▽子どもの頃に能満寺の鐘を突いた経験のある佐藤初枝(さとうはつえ)さん
能満寺に鐘があった頃、この辺りの家では毎年8月15日にお盆でお供えした物を川に流してご先祖さまを送り出す「棚流し」をしていて、夜の12時近くになるとお寺の鐘を鳴らして各家に棚流しの時間を知らせていました。その鐘を突かせてもらったのが良い思い出です。
当時はまだ子どもだったので詳しいことは分からないのですが、終戦後も金属類の供出がしばらく続いていたようで、終戦後しばらくしてから能満寺の鐘がなくなってしまいました。戦後80年経ってお寺に鐘が戻ってきてくれたことは、とてもうれしく、感慨深いですね。
◆編集後記
今の多古町に戦争の影響が何か残っていないかという視点で取材テーマを探していたところ、今回の鐘の話を聞き取材をさせていただきました。歴史に「もしも」はありませんが、戦争がなければ当時の鐘の音が今でも響いていたのかもしれません。
戦争は人の命だけでなく、地域の文化財や資源、インフラなど生活に身近なもの、必要なものも奪っていきました。このような面も、戦争の持つ残酷さの一つなのだと思います。
