- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県鋸南町
- 広報紙名 : 町報きょなん 令和7年4月号
■大崩の芭蕉句碑
大崩(おくずれ)の西根に松尾芭蕉(まつおばしょう)の句碑が建っています。「いざさらば 雪見に転(ころ)ぶ ところまで」。これは貞享四年(一六八七)十二月、芭蕉が名古屋の書籍商、風月堂孫助(俳号は夕道(せきどう))の屋敷での雪見の宴で詠(よ)んだ句です。この句碑がここに建てられたのは、明治十年(一八七七)。大崩の俳人、亀甲(きっこう)によって建てられました。
松尾芭蕉は元禄時代の人で、俳諧を芸術性の高いものへ押し上げた蕉風俳諧(しょうふうはいかい)で一世を風靡し、「奥の細道」などの紀行文とともに、さまざまな名句を残しました。のちに芭蕉の門人たちは各地へ遊歴し、芭蕉の俳句は広く浸透し、芭蕉句碑も全国に立てられました。特に房総には俳句をたしなむ者が多く出て、芭蕉を慕い、「連(れん)」というグループを結成し、句会や句集を出すなど、明治頃まで活動しました。
亀甲は、本名は鈴木勘兵衛(かんべえ)、寛政十年(一七九八)大崩村に生まれました。農業のかたわら俳句をたしなみ、万歳舎(ばんざいしゃ)、柚(ゆず)の本(もと)とも号しました。近在に知られた俳句の師匠だったようです。
この芭蕉句碑の裏面には亀甲自身の句「笠雪を 富士は外(はず)して 小春風」が刻まれています。
現在の湯沢のトンネルの上にかつての旧道が通っています。その東方、大崩に向かうその旧道の三叉路に句碑が建っています。ここから西をながめれば、山と山のわずかな間から富士が見えます。亀甲はここで詠んだ句を有名な芭蕉の句と背中合わせに句碑として建てたのでしょう。
亀甲は明治二十三年(一八九〇)十月三十日、九十三歳で亡くなりました。辞世の句は「幸の よい天気になり 秋の旅」。