- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都足立区
- 広報紙名 : あだち広報 2025年6月10日号
■美術
◆美と知性の宝庫 足立[ホール・企画展示室(1階)]
江戸時代の足立では、書画や俳諧などを嗜(たしな)む文化が開花し、その豊かな美術文化は昭和時代まで継承されました。足立で活躍した文人たちの作品は、世代を超えて大切に受け継がれてきたのです。
▽ここも魅(み)どころ
展示資料の魅力をより引き立たせるため、館内の一部の展示ケースを、白色から黒色に統一しました。
◆花開く足立の美術文化
足立の美術文化の起点の一つは、千住を拠点に活動をはじめた俳人・絵師の建部巣兆(たけべそうちょう)にあります。
巣兆は江戸時代後期に活躍した人物で、千住近隣の関屋の里(現在の千住関屋町)に居住。寛政時代(1789年から1801年)に千住周辺で俳諧を楽しむグループ「千住連(せんじゅれん)」を指導しました。巣兆や千住連との交友を通じて江戸の有名な文人たちが千住に集うようになり、書画や文芸を楽しむ文化が芽生えたのです。
・「『竹(たけ)の子(こ)や』自画賛」建部巣兆
竹藪でくつろぐ馬を、俳句とともに描いた作品
文化14年(1817年)に開催された2回目の千住の酒合戦では、この「筑波山(つくばさん)に都鳥墨切蒔絵大盃(みやこどりすみきりまきえたいはい)(口径47.3センチメートル)」が使われたといわれています。この大盃の制作にあたっては、琳派絵師・酒井抱一(さかいほういつ)が下絵を、蒔絵師・原羊遊斎(はらようゆうさい)が蒔絵を描きました。
◆千住の酒合戦
文化12年(1815年)、飛脚問屋の主人・中屋六右衛門(なかやろくえもん)の還暦を祝うために、江戸と近郊から酒豪や文人を招いて行われた「千住の酒合戦(飲み比べ)」。千住で2回開催され、1回目には、文人たちが酒合戦の様子を記録した合作の絵巻が残されています。
絵巻では、飲んだ酒の量を競う人々に続いて、来賓席の文人たち、酒と料理を準備する裏方などが次々と展開し、酒合戦当日の賑(にぎ)わいが伝わってきます。足立の人々と江戸の文化人の交流が、初めて形になった催しです。
・「高陽闘飲図巻(こうようとういんずかん)」(レプリカ)
酒井抱一(さかいほういつ)、谷文晁(たにぶんちょう)ほか
◆千住の琳派(日本美術の流派。模様のようなデザイン性の高い図様や、「たらし込み」と呼ばれるにじみを活かした画風が特徴)
江戸時代末期、千住で活躍する琳派絵師たちが現れたことで、美術文化はさらに発展します。
・初公開「四季草花図屏風(しきそうかずびょうぶ)」村越向栄(むらこしこうえい)
明治時代の作品で、一つの画面の中に春夏秋冬の草花が描かれています。
・千住の琳派の代表作!「八橋図屏風(やつはしずびょうぶ)」村越向栄
「燕子花(かきつばた)」やその中を渡る「八橋」は、琳派絵師たちに描き継がれた代表的な画題の一つです。
◆画家たちを支える足立の人々
明治時代から昭和時代にかけて、足立では親交のある画家を支える団体が多数発足。定期的に画家に制作を依頼することで、制作機会の提供と経済的支援を行いました。足立の人々は多くの画家に寄り添い、様々な活動を展開し続けてきたのです。
・千住の人々がつくった「芳廣会(ほうこうかい)」の支援で活動した画家・高橋廣湖(たかはしこうこ)の作品
「武内宿禰図(たけのうちのすくねず)」
▽ここも魅(み)どころ エアタイトケース
内部を密閉し空気の漏洩(ろうえい)や流入を遮断するはたらきにより、湿度変化が最小限になることで資料を安定した環境で展示することができます。温湿度に敏感な資料の展示が実現するなど、展示の幅の広がりが期待されています。
◆企画展 in 企画展示室
「千住・足立の文化遺産展 前期『香りたつ琳派の美』」を開催中!
期間:6月29日(日)まで開催中
平成24年の区制80周年を契機に文化遺産調査が本格化。数々の展覧会でその成果を披露してきました。こうした活動が注目され、令和5年、明治時代から続く日本・東洋美術専門の研究誌『國華(こっか)』で足立の美術文化が特集され、広く世に紹介されたのです。
この企画展は、文化遺産調査を踏まえ『國華』掲載作品を中心に展示。前期にあたる今回は、江戸後期から始まった千住・足立の人々と江戸の文人との文化的な交流などを、琳派の作品を通じてお伝えします。