- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県小田原市
- 広報紙名 : 広報小田原 令和7年7月号 第1275号
◆8年ぶりの相馬・双葉訪問
5月23日・24日の2日間にわたり、相馬・双葉地方を訪ねました。前回の訪問は、映画「二宮金次郎」製作への協力要請のため、報徳ゆかりの市町をお訪ねした平成29年でしたので、実に8年ぶり。全国市長会の会長も務められた立谷秀清相馬市長から、私の市長再任を喜ぶお電話があり「久しぶりに『野馬追(のまおい)』に来ないか?」とのお誘いを受けての訪問でした。
江戸時代後期、相馬中村藩から嘆願を受け、二宮尊徳は高弟ともいえる富田高慶を代理に立て、20年以上の歳月をかけて1400町歩弱の開墾が行われました。その報徳仕法のことを、今も現地の皆さんは「御仕法」と呼ぶほど、報徳の息吹が今なお残る土地柄。東日本大震災により、大津波で多くの人々が犠牲になり、広大な美田が海水に漬かり、丹精した田畑や山林は放射能で汚染され、多くの住民が断腸の思いで故郷を離れてから14年。発災後、小田原市長としてほぼ毎年現地をお訪ねし、市民ボランティア団体の編成、市職員の派遣、震災遺児・孤児への支援などを続けてきましたが、この間ずっと伺えていなかったことから、野馬追に合わせ、その後の現状確認もしたく、ゆかりの市町(大熊町、浪江町、南相馬市、相馬市、飯舘村)全てを再訪したものです。
2日間かけて巡った相馬・双葉地方は、8年前と景色が大きく変わっていました。除染土が詰め込まれた黒いフレコンバッグの山がすっかり片付けられ、海水に漬かった田んぼでは田植えが行われ、あるいは太陽光発電設備が大規模に設置されていました。除染後の農地も本格作付けに向け耕地整備が進んでいます。帰還困難区域で立ち入りができなかった大熊町・浪江町などでも、駅周辺を中心に市街地整備が進み、雇用の場や学校が整ってきました。住民の帰還はまだ少ないものの、他地域からの新住民の転入が進んでいます。そして、長い歴史を刻む「相馬野馬追」は、400騎もの騎馬武者がそろい、勇壮・盛大に挙行されました。
各首長の皆さんと面談させていただきましたが、そうした復興の歩みの裏側に、言い尽くせぬ辛苦があったであろうことがひしひしと感じられました。全てが震災前には戻らないとしても、そうした苦しみの先に、きっと新たな町が立ち上がり、人々の営みが育っていくであろうと信じられた、貴重な訪問となりました。