文化 古文書でタイムスリップ

■「江戸時代わが村の暮らし」(54)
役員を交代制にしてはみたものの
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

前回の続きです。納税業務の役員をせっかく交代制にしたのですが、新野家文書には、不都合が生じて一年で廃止にしたことが書いてあります。
年貢米を江戸まで千石船で送り届ける納税業務は、想像以上に大変だったようです。
その一端をうかがわせる文書があります(写真)。天保三(一八三二)年、惣代庄屋から代官所宛の、こんな内容です。
「今年の回船差配(さはい)人は京屋七左衛門に代わったということですが、船中で欠・減・害になる米の扱いは、これまでと同じにしてほしいので、これから京屋と交渉したいと思っています」
欠・減・害の米というのは、二〜三か月もかかる輸送の船中で、俵の中の米が減ったり傷んだりして不足する分のことです。そのための補充米を千石船一艘(そう)につき三十石ほど、村側が余分に用意します。運賃も村側の負担です。この補充米の積込みや運賃・手数料等について、新しい差配人と交渉することになるわけです。
差配人は米輸送一切の指揮をとる請負商人です。全国の港にいる千石船の船主と連絡を取り、空船を海老江湊に回させるなど、生き馬の目を抜くといわれる回船の世界で生きる凄腕の商売人です。
そんなプロと交渉するのですから大変です。もし交渉がまずくて経費が上がれば、それは即村々への負担増になるでしょう。反発は必至です。
海老江湊での積み込みや、江戸での積み下ろし蔵納め等の費用算出と村側への割り当ても気の抜けない業務です。
納税業務の事務所は、代官所のある水原にありました。そこには、海老江湊組だけでなく新潟湊組の役員もいます。両組に共通する業務は、経費案分です。駆け引きもあるでしょう。
そんなこんなで、一年交代の役員ではとても荷が重い業務です。何しろ、村々の利害がかかっているのですから。
ということで、一年交代制でやってはみたものの、初めての人に務まる業務ではなく、結局、ベテランの役員に戻したのではないでしょうか。
では、肝心の江戸や海老江湊への長期出張の交代制は、どうなったか。それは、どこにも書いてありません。皆さんは、どうなったと思いますか。

※原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQR(本紙参照)から