- 発行日 :
- 自治体名 : 富山県砺波市
- 広報紙名 : 広報となみ 令和7年7月号
■モデルコース-人々の生活をたどる旅-
埋蔵文化財センター
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(1)久泉遺跡
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(2)福山窯跡
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(3)松原遺跡
丸山さん
埋蔵文化財センター
〈私のおすすめはこれ!!〉
◆市指定文化財「徳万頼成遺跡の土偶」
国道359号の工事が行われる際に発掘調査を行ったところ、この土偶が見つかりました。頭部と胴部がほぼ完全な状態で残っており、逆三角形の顔には、眉、目、鼻の穴、口、耳の表現が見られます。愛称は「ほほえみの土偶」。どんな嬉しいことがあったのでしょうか。当時の暮らしを想像するとわくわくします。実は埋蔵文化財センターのロゴにもなっているんですよ。
(1)久泉遺跡(ひさいずみいせき)(太田)
縄文時代の遺跡で、平成15~17年に発掘調査を行ったところ、おびただしい量の打製石斧や石組建物跡など、たくさんの遺構や遺物が発見されました。
奈良時代の砺波郡は、東大寺で奈良の大仏を建立する際に多くの米を送っていました。その米を作るための荘園(田)に水を供給するための大溝や、それを管理する施設跡がこの遺跡からみつかっています。
(2)福山窯跡(ふくやまかまあと)(般若)
須恵器という焼き物をご存知でしょうか。中学校社会科の教科書に登場するこの焼き物は、古墳時代に朝鮮半島から日本にもたらされた硬質の土器です。
市内には須恵器の窯跡が19基みつかっており、ここ福山窯跡からは全長12mの窯体や、「窖窯(あながま)」というトンネル構造が確認できました。五重塔のミニチュアとみられる瓦塔も見つかっており、市の指定文化財となっています。
(3)松原遺跡(まつばらいせき)(東山見・青島)
東山見・青島地区にひろがる東西約600m、南北約280mにおよぶ縄文遺跡です。
標高100mでありながら、魚網に使われたと思われる石錘(せきすい)(網の先端につける重し石)が非常に多く出土しています。さすがは水の里庄川。当時の人々も鮭や鱒をとって一級河川庄川の恩恵を受けていたのですね。
■モデルコース-武将のルーツをめぐる旅-
(1)御館山館跡
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埋蔵文化財センター
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(2)安川城跡
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(3)増山城跡
(1)御館山館跡(おたちやまやかたあと)(高波)
木舟城の出城であったと伝わる城郭です。圃場整備によって位置がわからない状態でしたが、平成24年の調査で井戸跡や堀跡が確認されました。この発掘調査では、地震による液状化現象の痕跡も見つかっており、その断面を切り取って埋蔵文化財センターで展示しています。
(2)安川城跡(やすかわじょうあと)(般若)
「鬼ヶ城」との別名をもつ城、それが安川城です。般若野荘の荘官を任じられた黒田太左衛門が、野心を抱き悪党を従えて城に立て籠もったことから、「鬼が立て籠もる城」とされたのだとか。東西の両端に大きな堀切、北側に堅堀があり、西(般若野荘)を意識した縄張りとみられます。
(3)増山城跡(ますやまじょうあと)(栴檀野)
国指定史跡・続日本100名城・越中三大山城と3つの称号をもつ自慢の山城です。上杉謙信が3度も攻め、「増山之事、元来嶮難之地」(増山城は、古くから攻めるのが難しい城である。)と書き残しています。
山崎さん
埋蔵文化財センター
〈私のおすすめはこれ!!〉
増山城跡を歩く際は、ぜひ名誉城主である春風亭昇太師匠による音声ガイド「ますナビ」を聞きながら歩いてください。あなたのスマートフォンやタブレットで、城内の看板のQRコードを読み取ると、聞き慣れたあの声で増山城の解説が聞けるんです!
また、ARアプリ「城ポジ増山城-謙信の秘刀-」を使うことで、より城攻めの雰囲気を味わっていただけますよ。
◆新しい発見でこのまちをもっと好きに
いつもの道に、こんな歴史があったなんて―。
あなたの周りにある埋蔵文化財は、実はたくさんの歴史を秘めた宝箱です。このまちの隠れた魅力や文化に気付くことで、まちの風景が少し違って見え、このまちがもっと好きになるかもしれません。
さあ「お散歩マップ」を片手に、何気ない日常の中に眠る歴史の足跡をたどってみませんか。