くらし ふさるとを訪ねて~地域文化を掘り起こそう~(69)

市史編纂室 山田 雄造

■勝山中学校の閉校
勝山中学校(以下勝中)に残る資料は少ない。そこから2つ紹介する。昭和27年(1952)10月18日、精華高校グラウンドを借りて第1回校内運動会が開催された。32年に十周年記念式典が行われ、マラソン駅伝大会と総合球技大会、記念講演会が催された。
勝中の歴史は30年に満たないが、第一次ベビーブームの時期と重なっていたため、生徒の数は非常に多かった。中でも昭和37年度は学級数、生徒数、教職員数が最も多く学級数は3学年で37、生徒数は男822人・女848の計1,671人、職員数は54人であった。全校生が集まる場合は講堂に入りきれず、2階に設けられた観覧席のような所も利用して行われた。
教育目標は毎年変更があり、37年は「地域の実態に即し自主的にしてねばり強く敬愛協力の社会性ゆたかにして気魄あるたくましき日本人の育成をめざして」であった。
ちなみに翌年の卒業生は男293人・女274人の計567人であった。勝中の閉校に至る過程を簡略化して説明すると以下のような経過をたどる。
昭和42年に中部中学校が、同45年には南部中学校が設立される。その間、勝中は南部中学・中部中学の分校(後教場)として位置づけられた。そして勝中最後の卒業式は中村一郎校長先生のもとで49年3月に行われ、男57人・女54人の計111人が卒業した。