文化 さかい風土記172 春江駅周辺に残る古い道

■「道づくりはまちづくり」
江戸時代からある古い道といえば、丸岡町長崎や舟寄を通っていた北陸道が有名です。しかし、集落の道や、集落同士を結ぶような農道も江戸時代に存在していました。では、私たちが普段歩く道は、いつ頃からあるのでしょうか。子どもの時から変わらない道もあれば、最近になって新設された道や拡幅された道があります。今回は、現在も町なかに残る古い道を紹介します。
春江駅の周辺は現在、工場や住宅が立ち並んでおり、水田や畑はあまり見られません。しかし、江戸時代は水田の広がる農村地域でした。その後、明治時代以降に繊維産業(せんいさんぎょう)の発展で工場が多く出来たことで都市化し、大正15年(1926)に春江駅が開設され、現在のような住宅街になりました。そのため、春江駅の周辺には江戸時代にもともとあった道と、発展にともなって造られた新しい道がいくつも交差しています。
例えば、地図で(1)とつけた道は、現在、春江小学校の前を通る道です。この地図のように明治42年(1909)にはすでに存在していましたが、蛇行していた道は、後に現在のような形に改修されました。また、為国(ためくに)の八坂神社(やさかじんじゃ)前から春江駅に向かう道は、福井地震後、春江の町を復興した際、新しく造られました。
他にも、地図で(2)とつけた道は現在、江留下(えどめしも)交差点につながる道です。地図のように、この道も蛇行していましたが、後に改修されて現在の形になりました。現在江留下交差点につながる空港線など他の道は新しく造られたため、この地図には載っていません。
道は、まちの発展に伴い利便性を求めて、変わっています。私たちが歩いている今の道も、10年後20年後には一変しているかもしれません。皆さんも、地図を片手に身近な道を歩いてみませんか。

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