- 発行日 :
- 自治体名 : 福井県越前町
- 広報紙名 : 広報えちぜん 令和7年4月号
■佐々生窯跡(1)
E子:こんにちは!今回は新しい窯跡についてでしたよね。
学H:こんにちは。その通りです。今回から新しい窯を紹介します。紹介するのは、佐々生窯跡という奈良時代の須恵器窯跡です。
佐々生窯跡は、標高一〇〇メートル~一二〇メートル前後の八ツ手状の丘陵に挟まれた谷状地形の斜面に位置しています。小倉見ダムの建設に伴って水没しましたが、干ばつなどで水が引くと底から大量の須恵器が採集できるため、窯跡の存在は知られていました。研究者の注目度は高く、時期は八世紀中頃から後半に比定できます。
E子:佐々生窯跡からは、どんな須恵器が見つかっているのですか?
学H:この窯跡からは、食膳具や貯蔵具、瓦塔(がとう)の一部などが見つかっています。
E子:瓦塔とは何ですか?
学H:瓦塔とは、総高一~二メートルの瓦製の塔です。木造の五重塔を模したものが主であり、細部まで木造建築の構造を丁寧に表現しています。主に奈良から平安時代にかけて作られ、北陸地方、東海地方、関東地方で多く出土しています。焼成した窯跡や、用いられた場である寺院跡、集落跡などから出土しています。中心に木製の心柱(しんばしら)を立て、宝珠(ほうじゅ)、竜車(りゅうしゃ)、水煙(すいえん)、相輪(そうりん)、伏鉢(ふくばち)、露盤(ろばん)、屋蓋(おくがい)、軸部を重ねて塔としていたと考えられます。瓦塔の用途については、木塔の代用品説や信仰・供養の対象説などが提唱されていますが、明確にはされていません。
E子:木造の塔を粘土で模倣していたこと、また部材ごとに作り、立体的に組み立てていたことに驚きました。
学H:瓦塔は小さな建築としての側面も持っていたのでしょう。
次回も佐々生窯跡について紹介していきます。
[引用・参考文献]
・越前町教育委員会『朝日山古墳群・佐々生窯跡・大谷寺遺跡重要遺跡範囲確認調査報告書』二〇〇六年
・越前町教育委員会『越前町織田史(古代・中世編)』二〇〇六年
・高崎光司「瓦塔小孝」『考古学雑誌』第七四巻第三号 日本考古学会 一九八九年
・立正大学博物館『立正大学博物館 第一五回企画展図録 瓦塔と瓦堂』二〇二一年