くらし 令和7年度民間広報協力員特集 塩~ the Power of Salt ~(1)

ひと粒の塩にこめられた海の恵みと人々の知恵。
民間広報協力員による今回の特集では、かつて河津町で栄えた製塩法と今も地域に息づく塩づくりにこめられた想いをご紹介します。

■塩の歴史
日本では古くから塩づくりの原料を海水に頼る塩浜法が行われ、江戸時代には瀬戸内に入浜式塩田が発達し、全国の約8割の塩を産出しました。

■塩専売制度
明治時代には、低価格な外国の塩の輸入により国内塩業への危機感も高まり、国内塩業の育成・保護、製塩技術の改良や価格の低廉化が必要とされました。さらに、日露戦争のための膨大な戦費の調達に苦慮した明治政府は、国内塩業の基盤整備と財政収入を確保する両面から塩の専売制度を明治38年に導入しました。平成初期に入ると、専売制の廃止に関する議論がなされ、平成9年4月、国内塩業の一層の発展、多様な消費者ニーズへの対応を柱に、92年間続いた塩専売制度は廃止されました。

■イオン交換膜法の普及
時代の流れとともに製塩法も変わっていきました。昔ながらの海水を煮詰める製塩法から、イオン交換膜法という方式に切り替えられていきました。それまで、製塩量は天候に大きく左右されていましたが、イオン交換膜法により、効率的に濃い塩水を集めることが可能になり、現在では日本で主に用いられる製塩法として知られています。一方で、各地の製塩法の特色は消えつつあり、現在も残っている地域の製塩法は貴重な存在になっています。

■神事やお清めとして利用
日本には、清めの儀式として塩を用いる文化があります。力士が土俵に入る前に、塩をまく姿や、玄関の脇に塩を盛るなど塩を使っている様子を思い浮かべる人もいるかと思います。塩は古くから、穢れを清めるものと考えられてきました。塩には浄化の力があると信じられており、神社では儀式の際に場を清めたり、神具を浄化するために使用されます。

■谷津・下峰にあった工場
温泉を多数有する伊豆半島では、温泉熱を利用した製塩法が盛んに用いられました。薪や電気を利用した製塩法も利用されていましたが、熱源コストの比較的安い温泉熱製塩が残ることとなりました。
昭和初期には、谷津・下峰に塩工場があったとも言われてます。

▽塩工場MAP in 河津
かつて下峰区・谷津区に温泉熱を利用した「塩工場」と呼ばれる製塩施設があったとされる。
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