- 発行日 :
- 自治体名 : 静岡県河津町
- 広報紙名 : 広報かわづ 令和7年11月号
■源泉が生んだ海の恵
温泉熱を活用した塩づくりをしていた飯田正臣さん。少年時代の様子や飯田さん自身が行っていた塩づくりについて取材しました。
飯田 正臣(まさおみ)さん=谷津=
宿泊業経営のかたわら、父・淑郎さんが行っていた製塩を参考に、自身も温泉熱を利用した塩づくりを妻・栄子さんと平成30年まで行う。
◇塩づくりの記憶を巡る
太平洋戦争が始まったころ、軍が温泉熱を利用した製塩所を作り、塩の生産をしていました。戦争が終わり戦地から帰ってきた飯田正臣さんの父・淑郎(よしろう)さんがその施設を譲り受けたそうです。谷津港にあるポンプ室から、川沿いにパイプを通し、海水をくみ上げ、平鍋に入れた海水を蒸発させる「温泉熱利用製塩」という方法で、製塩が行われました。戦後の復興期にかけて、多い時には従業員が5人以上いたそうです。
谷津の細い道を大きなトラックがやってきて、塩が入った大きなカマス袋を集荷していく様子が今でも目に焼き付いていると飯田さんは語りました。台風が通過した後には父・淑郎さんと一緒に自転車に乗って、ポンプ室までごみのつまりを除去しに行くことが恒例でした。下田に塩の専売公社があり、抜き打ち検査があった様子も思い出の一つとして教えてくれました。
1959年第三次塩業整備という国策が決まると、海外の塩山や塩分濃度の高い場所から取れる塩が輸入され、塩の価格が下がり多くの業者が廃業しました。淑郎さんも製塩だけでなく、宿泊業を始めるようになりました。その後、製塩業を終え、大きな温泉はティラピアやウナギの養殖場として変化していきました。
温泉を利用した塩づくりは、今も正臣さんの少年時代の思い出とともに、記憶の中にはっきりと残っています。
【カマス袋】
塩を出荷する際に使用されたカマス袋。袋いっぱいに詰められた塩は、集荷トラックに乗せられて出荷された。
■うまみが詰まった幻の塩
◇塩づくりの復活
30年ほど前に全国的に塩ブームがあった時に、正臣さんは子ども時代に見ていた塩づくりを思い出し塩づくりを復活させました。平成初期以降源泉は町の給湯事業により個人が自由に使用することができなかったため、正臣さんは温泉の蒸気を熱源として使用した釜を作り、塩づくりを始めました。一気に蒸発しないように、海水を少しずつ加えるのがポイントです。塩づくりには百度以上の熱が必要なため、施設の管理はとても大変だったと飯田さんは話してくれました。7年前に施設を引き渡した際に、塩づくりも終えたため今では幻の塩となりました。
正臣さんの作る塩は粒が大きく、ざくざくとしていて海水のうまみがたっぷりと詰まった塩だったそうです。
かつて塩が作られた場所は現在譲渡先の宿泊施設の、温泉プールとして利用されており、当時の製塩業の規模の大きさがうかがえます。
