- 発行日 :
- 自治体名 : 愛知県弥富市
- 広報紙名 : 広報やとみ 令和7年6月号
■桜小学校
桜小学校では、一人一人が輝き、自己有用感・自尊感情に満ちた笑顔いっぱいの児童の育成を目指し、さまざまな教育活動を行っています。子どもたちが元気に活動する様子の一部を紹介します。
◆各学年の取り組み
地域や社会など多くの方々の協力を得て、どの学年の児童も多くのことを学びました。
【1年生】校外学習 名古屋港水族館
【2年生】出前授業 交通安全教室
【3年生】校外学習 収穫体験
【4年生】福祉実践教室 車椅子体験
【5年生】野外活動 美浜自然の家
【6年生】修学旅行 舞妓鑑賞体験 ー京都の伝統文化を体感しましたー
◆鬼ごっこキャンペーン(児童会活動)
体育委員会が鬼ごっこを計画しました。鬼は、体育委員と先生です。2時間目の休み時間に1~3年生、昼休みに4~6年生が、鬼から逃げます。皆、元気に走り、鬼ごっこを全校で楽しみました。
■広島研修
◆広島研修で学んだこと
弥富中学校 中村 葉都樹(なかむら はづき)
【平和記念資料館を訪れて】
私は、平和記念資料館で、原爆の恐ろしさを学んだ。原爆はその威力で範囲内の人々、建物など全てのものを焼き払ってしまう。さらにその後も放射線による後遺症に苦しめられ、人々に原爆が与える影響は、とても計り知れないと感じた。しかし、それよりも恐ろしいのはその原爆を保有している国があるということだと私は考える。だから早く核兵器を捨てて、国境を越えてみんなで手を取り合って生きていくべきだと思う。
【折り鶴献納を行って】
たくさんの折り鶴が献納されていて、その全てが折った人々の平和を願う思いが込められていて「戦争がなくなりますように」という思いとともに、とても温かな気持ちにさせるものだと感じた。
【戦時中の食事を体験してみて】
戦時中の食糧だし、これから毎日にでも食べたいと思うような味ではなかったけど、当時ではこれでも贅沢な食事であったと考えると普段の私たちが食べている給食や家庭での食事にもっと感謝すべきだなと思った。
【これから私が平和のためにできること】
私は、今の生活が当たり前ではない時期があったことをしっかりと認識して、今これだけ平和な日常を送れていることに感謝するべきだと考える。戦争がどれだけ恐ろしいことか、忘れることなく、これからの人生でも今の生活に感謝して生きていくことが大切だと考える。
【学習を終えて】
あまりプライベートで行けるような場所ではないから、学校行事で広島に学びに行けてよかった。実際に行ってみて教科書で見るのとは違って、被爆者の遺品や写真を見て、その凄惨さを目の当たりにして、このことは絶対に忘れてはいけないと感じた。
◆広島で学んだ平和の心
弥富中学校 加藤 結衣(かとう ゆい)
【平和公園を訪れて】
私は、原爆ドームでガイドさんから教えてもらったことが一番心に残った。まず、原爆ドームが被爆する前、広島に原爆が落ちる前のことを教えてもらった。原爆ドームはもともとデパートで、広島の産業を盛んにすることを目的に建てられたそうだ。よく見ると、当時のデパートの中にあった、変わった形の柱が残っていた。当時原爆ドームを取り壊してほしいという意見が多かった一方で、大人がまた戦争を起こしてしまうかもしれないから残してほしいという16歳の女の子の意見で残されることになったという。人々が楽しむために建てられたこの建物が、今は原爆と戦争の恐ろしさを伝えるために残された建物であることに切なさを感じた。
【平和記念資料館を訪れて】
資料館には原爆がどのくらいの大きさだったのか分かる模型があった。原爆は、大人の身長くらいの長さ、車のタイヤくらいの太さで、思っていたよりもずっと小さかった。この小さな原爆で辺り一面火の海になったということに衝撃を受けた。
【被爆ピアノを聴いて】
ピアノは原爆で壊れて、出なくなった音もあると教えてもらった。「普通のピアノと音が違うのかな」と思ったが、普通のピアノのようにきれいな音が出ていた。被爆したピアノを使って戦争のことを忘れたくない気持ちがよく伝わってきた。
【これから私が平和のためにできること】
私たちは、日本の過去は変えられないけど、未来は変えられる。だから、過去に多くの犠牲を生んだ「戦争」というものを忘れず、世界中に伝える必要があると思う。そして、世界中が平和になることを願い、行動すること、行動しようとする気持ちも大切だと思った。
【学習を終えて】
広島市はきれいに道が整備され、周りにはビルが立ち並ぶ栄えたところだった。でも、戦時中は何もない焼け野原に、辺り一面人が倒れていたという話を聞いて信じられず、とても不思議な感じがした。被爆した人やその家族、そして未来を生きてゆく私たちのためにも「戦争」は絶対に繰り返してはいけないことだと強く思った。