- 発行日 :
- 自治体名 : 京都府宇治市
- 広報紙名 : 宇治市政だより 広報うじ 令和8年1月1日号
■松村 淳子(まつむら あつこ)-宇治市長-×瀬 泰幸(せ やすゆき)-コントラバス奏者-
今号では、宇治市出身で日本三大交響楽団の一つ読売日本交響楽団のコントラバス奏者として活躍されている瀬 泰幸さんをゲストに迎え、松村市長と対談を行いました。
宇治市で育ち、現在1児の父親である瀬さんに、音楽家への道のりや宇治への想い、子育てや音楽など文化芸術に触れることの大切さについてお話いただきました。
▽瀬 泰幸さん プロフィール
1984年生まれ。宇治市出身(大久保小学校)。
京都市立芸術大学卒業後渡独し、ヴュルツブルク音楽大学大学院修了。在学中よりベルリン国立歌劇場管弦楽団でアカデミー生として2年間演奏し奨学金を得る。帰国後は関西でフリーランス奏者として活動した後、2014年より読売日本交響楽団コントラバス奏者。オーケストラでの演奏のほか、大河ドラマ「光る君へ」ほか数多くの映像作品の音楽のレコーディングにも参加。
◆コントラバスをはじめたきっかけ
松村市長(以下、市長):本日はどうぞよろしくお願いいたします。瀬さんは、現在、日本屈指の交響楽団である読売日本交響楽団のコントラバス奏者として活躍されておられます。コントラバスを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
瀬泰幸さん(以下、瀬):中学校の音楽教師で吹奏楽部の指導もしていた父の影響で幼い頃から音楽が身近にありました。また、平成8年に父が指導していた南宇治中学校吹奏楽部が全国大会で金賞を獲得した際、家族で東京まで行き、舞台で演奏する皆さんのキラキラした様子がずっと脳裏に焼き付いていました。昔から低音が好きだったので、高校1年生の時から趣味でエレキベースを弾いていたのですが、高校2年生で進学について考えた時、強く印象に残っていた吹奏楽部の演奏を思い出し、エレキベースと同じ低音で自宅にもあったコントラバスが弾きたい、そしてプロの奏者になろうと決めました。
市長:昔から音楽が身近にあり、音楽の素晴らしさを肌で感じておられたとは思うのですが、高校2年生の時に始められた楽器で、いきなりプロを目指されたのですね。
瀬:父親が音楽の世界にいたことで、音楽で生きていく道のイメージを持ちやすかったこともあり、若さの勢いで最初からプロを目指すと父親に相談しました。
市長:「プロのコントラバス奏者になりたい」と夢を語られた時のお父さんの反応はいかがでしたか。
瀬:当然、父は音楽の世界の厳しさを知っているので、もっと安定した仕事に就く方がいいと何度も反対されましたが、めげずに説得し、最終的にはコントラバスの先生を紹介してくれるまで理解を得ました。遅めのスタートでしたので、大学時代を含めてひたすら練習するという努力の日々でした。
市長:音楽の世界で生きていらっしゃるお父さんを説得する程、熱い情熱を持ってプロを志され、努力を続けてこられたのですね。
◆留学で感じたふるさとへの誇り
市長:コントラバス奏者を目指される中、大学を卒業後ドイツへ留学されたとお聞きしました。何故ドイツを選ばれたのですか。
瀬:ドイツはオーケストラの分野において、多くの偉大な作曲家を輩出しており、楽団の数も他のヨーロッパの国と比べてもとても充実しています。また、私の師と仰ぐ先生自身もドイツで学ばれており、その影響でドイツスタイルで演奏していたので、留学先を選ぶ際に迷いはありませんでした。
市長:ドイツは本当に偉大な作曲家や楽団も多いですし、尊敬する先生も学ばれたということであれば、当然の選択ですよね。留学先のドイツで生活をされる中で、宇治を思い出すことはありましたか。
瀬:ヨーロッパ全般に言えることかもしれませんが、あちらでは石造りの建物が残っていたり、古い文化風習が残っていたり、当たり前の様にそこに住む人が伝統の上に生きていると感じることが多く、そこでふと、ふるさとの宇治も同じだと思いました。
市長:なるほど、具体的には宇治のどういう部分を同じだと思われましたか。
瀬:宇治も古い建築物が残り、きっと昔から変わらないであろう宇治川の美しい景色など、そういったもののありがたみや貴重さをヨーロッパに行って再確認しました。
市長:とても嬉しいですね。私も一番残していきたい景色が宇治川から見える自然と歴史ある風格です。あの景色が宇治の人の心を表していると思っており、ドイツに行ってそうした宇治の良さを思い出していただけたことは、すごく誇りに思います。ドイツには何年ぐらい行かれていたのですか。
瀬:約3年半です。その中の2年間、ベルリン国立歌劇場というオペラハウスの研修生として演奏していました。作曲家のグスタフ・マーラーが語った「伝統とは、灰を拝むことではなく、火を受け継ぐ事である」という言葉があるのですが、ベルリンの音楽仲間達は、日本から来た私にも惜しみなく、その火を分け与えてくれました。私も伝統の重みを肌で感じるとともに、仲間達の音楽への真摯で火のように熱い想いに触れられたことは、若い頃の大きな財産であり、非常に幸運な経験だったと感じています。
市長:瀬さんのお話を聞いていると、瀬さん自身もとても熱い想いを持たれていることが分かります。きっと演奏もそういう熱い演奏なのでしょうね。
