- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府泉大津市
- 広報紙名 : 広報いずみおおつ 令和7年7月号
■上條小学校の歴史(4)〜戦争の影響と戦後~
昭和14(1939)年から始まった第二次世界大戦の影響が国民の生活にも暗い影を落とし始めたころ、子どもたちの通う学校にもその影が忍び寄りました。
昭和16(1941)年の国民学校令施行により、上條尋常小学校は「上條国民学校」となりました。このころの学校日誌には、空襲警報が発令されたことなどが記されており、平穏な学校生活ではなかったことがうかがえます。また大阪市内から学校単位で集団疎開する児童を受け入れるなど、戦争は学校生活に大きな影響を与えました。
終戦から2年後の昭和22(1947)年、教育基本法と学校教育法が定められ、現在の学校制度がはじまりました。この年に学校名が「泉大津市立上條小学校」となり、校歌が作られました。その後、児童数の増加により、昭和45(1970)年に上條小学校から分離し条東小学校が設置されました。それから50年余り、幾多の児童がこの学び舎から巣立っていき、令和7(2025)年5月22日に創立150年を迎えました。
問合せ:生涯学習課