スポーツ 一途にやり続けた 好きな野球(2)

■厳しかった時期を乗り越えて つかんだチャンスを活かすために
オリックス・バファローズ 入山 海斗

◇将来の夢
保育園の頃から、お父さんと一緒に遊びの一環で、さまざまなスポーツをしていた入山選手。その中でも野球をしていたことが多く、小学3年生のときに(野球)少年団の見学に行きました。
元々野球が好きだったので〝なんか楽しそうやな〜〞という気軽な気持ちで入団します。その頃から、オリックス・バファローズ(以下、「オリックス」という)のファンということもあり、お父さんと試合をよく観戦していました。元オリックスの金子千尋(かねこちひろ)投手のピッチングを見て〝すごいな、僕もそうなりたい〞と憧れ、小学4年生のときにあった「二分の一成人式」で、将来の夢は「野球選手になること」と作文で発表をしました。

◇楽しいばかりが野球じゃない
厳しい練習もたくさんあり、自分自身の持ち味を発揮できず、あまり活躍できなかった小中学生時代。ピッチャーとして試合にあまり出場できませんでした。
〝外野手をします〞そう立候補したのは、やはり野球が好きで、試合に出たいという強い気持ちがあったからです。中学3年生で外野手になってからは、試合に出ることも増え、そこで経験を積みます。

◇試合に出て投げることが楽しい
高校では、監督に「ピッチャーをやってました」とアピールし、ピッチングを見てもらったことで、本格的に投手に専念。「小中学生の頃よりも野球が楽しくなって。自分の技術が上がっているというか、勝負できる球を投げられるようになってきて」とうれしそうに話してくれました。
しかし、和歌山県には強豪校も多く、甲子園出場の夢は叶いませんでした。それでも2年の秋にはリリーフエースとして投手陣を支え、和歌山大会準優勝に貢献。少しずつ自信につなげていきました。

◇自分の力不足
高校卒業後の進路は、プロ志望届を出すという話もありましたが〝レベル的にまだまだその段階ではない〞と思い大学へ進学。
高校時代では、やっと試合に出られるようになったものの、大学のリーグ戦登板は、1年生秋の1試合のみ。
〝どれだけ頑張っても試合も出れず正直諦めもあった。両親に1度も試合を見てもらえず、申し訳ない気持ちで辛かった〞と精神的にも落ち込んでいました。
そんな時、監督から言われた言葉が、入山選手を突き動かします。
「努力したのか」
シンプルな言葉から自分自身ではたくさん練習していたつもりだったが、結果が出てないということは、やり方がダメなのだと気付き〝よし、もっとやったる!〞とカツが入ったといいます。そこからスイッチが入り、トレーニングメニューを自分で考えてやるようになり、変化していく自分に〝今までちゃんとできてなかったんや〞と実感しました。
挫折だらけの大学時代でも〝最後はやっぱり野球が好きで、試合に出られないなら、持ち味であるスピードを最大に伸ばす努力をしよう〞と精神的にも切り替えていきました。

◇育成選手に
大学卒業後は、社会人野球に進む予定でしたが、監督から「育成でもプロでやってみるか」と言われ、挑戦する道を選びました。大学4年生の頃に、遠征試合として、オリックスとの試合が予定されていました。雨で中止になったものの、ピッチングだけ全員見てもらえたことが、入山選手のターニングポイントになったといいます。
その頃から、オリックスのスカウト陣に目をつけてもらうようになり、育成選手として入団する大きなきっかけとなりました。

◇3年目のチャレンジ
育成選手になった当初は、大学で投げていないこともあり、不安でいっぱいでした。
〝とにかく必死に頑張った〞がむしゃらだった1年目。2年目は、去年の反省を活かしつつ、技術的にも精神的にも大学の時と比べ物にならないほど、成長できたといいます。
「まだまだですけど…試合でもしっかり抑えることができるようになってきている」と2年間の経験を振り返ってくれました。
この2年間で経験したことを最大限に活かし、自分の持ち味を伸ばしつつ、「3年目も継続されたことを無駄にしたくない」その強い意志が日々の努力につながっています。

※支配下(登録選手)…プロ野球の1軍公式戦に出場可能な70人までを上限とする1軍・2軍選手のこと。

自分にできることを精一杯やる!
投げられる環境に感謝!

とにかく元気。体を動かすことが大好きで、鬼ごっこをしても動きが速くずば抜けていました。
おもしろいことをしたり、楽しいことをしたりするときはノリは良かったですね。優しいところもすごくあって、素直で人柄もよく人懐っこいところもあり、かわいかったです。野球少年だったので、やっぱりその道に進んでいてすごくうれしいです。
まず一歩ここまできたので、その夢に向かって頑張ってほしいのと、健康第一!!でファイト!!

・いろいろ言えないあんなことや、こんなことで叱ったなぁと思い出すけど、やるときゃやる子やったね!いけるよ海斗!頑張れ!!

八雲東小学校1年・4年生(半年)担任(当時) 西川先生

運動神経はよく、何でも見よう見まねでやれちゃう子。持って生まれたモノを見抜いてくださる人がいて、良かったなと思います。宿題のプリントを「食べた」と言うので、先生同士で「海斗また?早く吐き出させないと」という楽しい会話をよくしていました(笑)
自分の力だけで今の位置にいるわけじゃなく、お家の人・関わってくれた人にまず感謝を持ってほしい。あとは自分の力でつかみ取った現在地と思うから、自信を持って思いっきり発揮してほしいですね。ケガはしないように!!

・12分で3000mを目標に走る授業で、ペアの子を一緒に伴走しながら応援し、達成した際に、自分のことのように大喜びしてた姿は、かっこよかったよ。

第一中学校1・3年生担任(当時) 町田先生

※詳しくは本紙またはPDF版をご覧ください。

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