くらし 〔Column〕生きる

■卵が先かニワトリが先か
◇コロナ禍の経験が教えてくれたこと
前号で「社会は健康で一日8時間元気に働ける人を想定してデザインされており、それが私たち病と共に生きている人たちのさまざまな困難につながっている」と書きました。私が小学校教員を退職した背景にはまさにこのことが関わっていました。一日の中で、自分の能力を発揮できる時間が短くなった私は「勤務時間は原則として一日8時間」という労働契約を守れなくなったのです。しかし、そのデザインは決して不動のものではありません。
例えばコロナ禍での働き方の変化は、私たちのような体調に波がある人たちにとって、副次的に良い変化をもたらしてくれました。リモートワークの導入で、通勤に使う体力を節約できるようになりました。また、急病で休む人が増えたりする場合に「周りに迷惑をかけないように無理して働かなくては」というプレッシャーが軽減されました。
卵が先かニワトリが先か、とよく言います。社会の土台を形成している考え方に沿って、社会の仕組みやルールは作られているように見えますが、その逆もあることをコロナ禍での経験が教えてくれました。退職当時の私は「働けない私は中途半端で価値がない存在だ」と精神的にも追い詰められてしまいましたが、発症したのが今であれば、あの時ほど苦しまなくて済んだかもしれないし、ひょっとしたら退職自体しなくて済んだかもしれない。20年の月日はそれくらいの変化を社会にもたらしているのです。
NPO法人大阪難病連事務局長 尾下葉子

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