文化 まちの文化財(241)

■ハチ高原スキー場の開発
氷ノ山と鉢伏山の地域では、大正4年に山岳登山スキーが始まりました。大正12年12月、旧制第三高等学校の学生であった西掘栄三郎氏(後の京都大学教授・第一次南極越冬隊長)が鉢伏でスキーをし、今西錦司氏(後の京都大学教授・日本山岳会長)が鉢伏山に、翌年3月、水野祥太郎氏(後の大阪大学教授)が氷ノ山山頂に初めて登山したのが、冬山登山の第一号と伝わっています。
昭和33年には、大久保スキー場に住民たちが第1号のリフトを建設しました。続いて昭和38年全但交通株式会社、昭和39年開発観光株式会社がリフトの建設を開始し、その後多くのリフトが建設され、ゲレンデが整備されました(『氷の山鉢伏山の歴史』中村覚 昭和54年発行)。
昭和43年にはハチ北スキー場を開発観光株式会社が開発し、これを世界的プロスキーヤーの三浦雄一郎氏が支援しました。昭和45年、大笹のハチ北高原4号リフトと鉢伏の鉢伏頂上リフトが同時に完成し、鉢伏山の山頂でハチ北とハチ高原が結ばれ、関西随一のスキー場へ発展しました。
鉢伏山頂には「鉢伏山山頂、1221米、関宮町」「永遠に残そう但馬の大自然」と記したモニュメントがあります。大正4年の山岳スキーの開始から100年を超える歴史があります。
(教育委員会歴史文化財課)