文化 ぼうじいの文化財みいつけた!第26回

◆ひらかたの里
佐用岡あたりは、昔は出雲や因幡(今の島根県や鳥取県)など、日本海側との交通の道筋だったんだ。でも、ここの山にいた神さまが怒って、通る人の半分を殺していたとか。それを、河内(今の大阪)の枚方の渡来系の人たちがここに住みついてお祀りをし、ようやく心を鎮められ、安心して通れるようになったとか。それで、ひらかたと名付けられたと、今から1,300年くらい前の『播磨国風土記』に書かれているよ。
このあたりは、太子町でも一番古くから人々が住みついている場所で、太子町総合公園を作る時に、今からおよそ5,000年前、縄文時代中期の住居跡や土器も見つかっているんだよ。