文化 香美町ならではの教育の挑戦

■ふるさとの魅力を伝える「香美町の文化財」
「香美町の文化財」は、本町の歴史文化を今に伝える貴重な「たからもの」です。
その中でも、本町の人々にとって大切なもの、兵庫県の人々にとって大切なもの、日本に暮らす人々にとって大切なものをそれぞれ、町指定文化財、兵庫県指定文化財、国指定文化財に指定しています。
この指定制度は、文化財を大切に守り、伝え継ぎ、そして、その魅力を多くの人に知ってもらうことが目的の制度です。今回は、令和6年度に新たに町指定文化財に指定された香住区浜安木にある「寄鯨供養塔」と、香美町20周年記念誌「香美町の文化財~時を越えた香美の記憶~」をご紹介します。

◇令和6年度町指定文化財「寄鯨供養塔」
本町から豊岡市に向かう県道11号線の浜安木区の海岸線沿いに、高さ約82センチ、幅約40センチの「寄鯨供養塔」が立てられています。
供養塔の中央には、5文字の梵字(ぼんじ)の下に「寄鯨供養塔」と漢字で彫られています。向かって右には「天明二年壬寅年」、左には「二月廿六日 施主 村中」とあります。これで天明2年(1782年)2月26日に浜安木の人たちが立てたことが分かります。
言い伝えによると、隣村の訓谷村との境界辺りの岩礁に弱っていた鯨が流れ着きました。境界辺りであったために、その日は両村で見張りを立てることにしましたが、翌朝になると現在、石碑が立てられている前辺りの砂浜に打ち上げられました。
鯨の所有権を巡って浜安木村と訓谷村は争論になりました。なぜ、鯨の所有権を巡って争ったのでしょうか。打ち寄せられた鯨は、食料や油などに余すところなく利用することができるため、入札によって売却され、その利益は「鯨一頭、七浦を潤す」といわれるほど莫大な利益をもたらしました。天明の飢饉で苦しんでいた地域にとっては貴重な利益をもたらしたことでしょう。残されている古文書からは、現在の価格で400万円ほどの利益があったのではないかと考えられています。
その後、浜安木村と訓谷村は和解し天明2年2月26日付で証文を取り交わしています。浜安木村の人たちは、打ち寄せられた鯨への供養と感謝を後世につたえるため、石碑を建立しました。
鯨の供養塔は兵庫県内では確認されておらず、自然への感謝を今に伝える文化財として貴重であることから、令和6年10月25日に町指定文化財に証文も併せて指定しました。

◇香美町合併20周年記念誌「香美町の文化財 ~時を越えた香美の記憶~」を刊行
町教育委員会では合併20周年を記念し、また多くの町民に本町の優れた文化財を知ってもらおうと「香美町の文化財~時を越えた香美の記憶~」を刊行しました。町内の中学生全校生徒に配布したほか、各地区公民館などでも閲覧が可能です。 町ホームページでも紹介していますので、右のQRコードからアクセスしてください。
※QRコードは本紙をご覧ください。

問い合わせ先:町教育委員会生涯学習課