- 発行日 :
- 自治体名 : 和歌山県紀の川市
- 広報紙名 : 広報紀の川 令和7年10月号
■第9経塚 嶺の龍王 授学無学人記品
大阪と和歌山の府県境を東西に走る和泉山脈と、大阪と奈良の府県境を南北に走る金剛山地にまたがる総延長112kmに及ぶ一帯の山地は「葛城」と呼ばれています。
修験道の開祖である役行者はこの葛城の地に法華経28品を1品ずつ埋納したと伝えられており、その法華経が納められた1~28の経塚とされる場所が現在でも伝えられています。紀の川市では第5・6・7・9経塚があり、中でも第7経塚の近くの中津川行者堂は、特別な儀式を行う重要な行場とされています。
第9経塚は、和歌山と大阪の境である標高858mの和泉葛城山山頂に所在しています。葛城山南側には紀の川平野、北側には和泉の平野が広がり、水源となる葛城山は古くから紀州と泉州の雨乞いの山として信仰されています。山頂の大阪側には高龗神社(葛城神社)があり、紀の川市側には第9経塚として金剛童子を祀る祠が建てられています。
鎌倉時代初期に書かれた『諸山縁起』では「竜宿、竜多輪」、「人記品第九」と記されています。江戸時代末期の『葛嶺雑記』の「嶺の龍王」の項には「同国郡同領分塔原村の嶺に有」と記されています。塔原村は現在の大阪府岸和田市塔原にあたります。「金剛童子祠」の項には「紀州那賀郡にて龍王の脇にあり。此祠を妙授学無学人記品第九之地に建し経つかといへり」と具体的に記されています。
現在の第9経塚には金剛童子の砂岩の板石を納めた祠が建っています。花崗岩製の祠は高さ約1・25m、幅約0・72mで、正面には石製の一枚扉が付いています。祠内部に高さ約0・3m、幅約0・2mの石碑が入っており、石碑には正面に梵字「カン」(金剛童子を意味する)と「泉州神尾寺天正□□□月」が刻まれているといわれています。神尾寺とは683年、役行者により創建されたとする神於寺(現大阪府岸和田市)と推測され、天正年間(1573~1592年)にこの石碑は造られたと考えられます。
江戸時代後期に編纂された『紀伊続風土記』では名手荘葛谷に「金剛童子石秀倉」として「葛城の山峯、泉州の界にあり、山伏の行所なり。泉州牛瀧並に大阪邊に行く者これを道路とす」とあり、行場でありながら往還の道でもあったことが伺えます。
第9経塚は長い間修験者や往来する人々を見守っており、静かに歴史を刻んでいます。
問合せ:紀の川市文化財保護審議会
【電話】内線74202(生涯学習課内)
