文化 安芸高田歴史紀行

■シリーズお城拝見 第96回 古吹城と鷹山銅山(向原町有留)
歴史民俗博物館 副館長 秋本 哲治

4月号で紹介した向原町の有留・保垣地区の城跡群の内、南端に位置するのが古吹城です(2011年5月号に掲載)。今年は戦後80年であり、今回はこの城の南斜面に残り戦時下を伝える近代遺産を紹介します。

◇謎に満ちた古吹城
中世の有富(ありどみ)(有留)の領主、有富氏の山城と言われているのが、標高560mの高所に残る古吹城です。集落と隔絶した山奥に立地し、東西150m、南北300mの有留保垣で最大規模の山城です。この城の歴史が分かる中世の史料はなく、謎に満ちています。全体的に尾根上はよく整地されており、山頂部の周囲には石垣が残っています。城の遺構・規模からは、有富氏よりも毛利氏の重臣として知られる志道氏(戦国期に有富に在住)の関与が推測できます。

◇鷹山銅山
古吹城の南の斜面に残る広大な遺構が、鷹山銅山跡です。本市最大の鉱山として、その歴史は江戸時代中ごろにさかのぼります。その後、明治期にさまざまな経営者によって採掘が進められましたが、本格的な採掘は鉱山整備令が施行された1943(昭和18)年からで、昼夜を問わず終戦まで操業が続けられました。最盛期には地元住民や朝鮮半島からの労働者も含めて、約千人が従事したといわれています。

◇銅山の遺構
上記の鳥瞰図のとおり、現在でも銅山跡の名残を留める遺構が広範囲に残ります。特に急斜面に構築された階段状の選鉱場(採掘した鉱石を選別する場所)の基礎は特徴的です(写真参照)。その他にも、採掘坑口の跡や労働者の宿舎跡など一帯にはさまざまな痕跡が残ります。
これらは、戦時下の緊迫した状況を伝える近代遺産といえます。

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会期:6.30(月)まで