- 発行日 :
- 自治体名 : 広島県府中町
- 広報紙名 : 広報ふちゅう 2025年6月1日(No.1136)
■第53回 府中が農村だったころ(13)〜溜池(2)
地図は明治32(1899)年の鹿籠(こごもり)周辺の地図です。一番大きい長田(永田)池のほか鵜崎(うざき)池・朝泊(あさどまり)池・日焼け谷(ひやけだに)池などが確認できます。この頃には農村府中村の灌漑用水として重要な役割を果たしていたことが分かります。しかし府中町は昭和30年代から広島市近郊の住宅地として大きな変貌を遂げ、田畑が急激に減少し、農業用水も必要性が低くなります。この結果、多くの溜池が埋め立てられました。現在の姿からは想像できませんが、滑り台やブランコなどで子供たちが遊ぶ鵜崎児童遊園(うざきじどうゆうえん)は鵜崎池を埋め立てて造られた公園です。埋め立ての時期は確認できませんでしたが、遊園の開設日が昭和48年10月なので、その前なのでしょう。府中町の農地が減少し、人口が急増した時期です。また引地池も公園になりました。令和5年段階で府中町が農業用ため池として公表していたのは永田・石コロビ池・水分堰堤(みくまりえんてい)・午王田(ごおうでん)(上段)・午王田(下段)の5か所で文化12(1815)年の「国郡志下しらべ帳」には府中村に見られる「水中生物ノルイ(類)」としてフナ・トシャウ(ドジョウ)・ウナギ・ハエ・ハゼの名称が記載されています。河川の他、こういった溜池にも多様な水生生物が棲息していたのです。
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府中町文化財保護審議会委員 菅 信博