スポーツ 【トーク企画】市長としゃべらんで Vol.20(1)

「市長としゃべらんで」第20回目の今回は、本市出身のプロ野球選手で「東京ヤクルトスワローズ」に所属する武岡龍世さんと原井市長とのトークセッションの模様をお伝えします。

■原井敬市長×武岡龍世選手(プロ野球選手)

▽野球との出会い、そしてプロの世界へ
市長:本日はお越しいただきありがとうございます。まずは、自己紹介を兼ねて、野球を始めたきっかけやこれまでのご経歴についてお聞かせください。
武岡:野球を始めたのは小学2年生の頃ですが、実は、それまではサッカーをやりたかったんです。当時は公園でサッカーボールを蹴っていたくらいで、ずっと「サッカーがしたい!」ってアピールしてたんですが、父の勧めで野球を始めることになりました。最初は少し気が進まなかったのですが、負けず嫌いな性格なので、どんどんのめり込んでいきました。
特に、野球をしていた3歳年上の兄の存在が大きく、いつも身近な目標でした。その兄が年代別の日本代表に選ばれた姿を見て、「自分もあの舞台に立ちたい」と思って必死に頑張りました。その努力が実って、小学6年生の頃には高校のスカウトの方からお声がけをいただけるようになりました。
市長:小学6年生の頃にもうスカウトですか。それは相当目立っていたんでしょうね。
武岡:そんなことはないんですが、試合を見に来てくださっていたようで、ありがたいことに八戸学院光星高校(以下:光星高校)からも声をかけていただきました。僕が甲子園(全国高等学校野球選手権大会)に出場したのは第101回大会だったのですが、光星高校のスカウトの方たちは「101回大会で優勝を狙おう」という考えがあったようで、早い段階から選手集めに力を入れていたそうです。
中学では硬式野球のクラブチームでプレーしながら、高校進学を見据えて練習に励みました。
市長:光星高校への進学を決めたのはいつ頃ですか?
武岡:中学1年の冬です。ジャイアンツの坂本勇人さんの大ファンで、「坂本さんのようになりたい」という思いから、坂本さんと同じ光星高校を選びました。全寮制の厳しい環境で、携帯電話は朝7時に預けて夜9時まで使えず、テレビも冷蔵庫もエアコンもない生活を送っていました。でも、そこで野球に打ち込めたことで、人間的にも成長できました。
市長:まるで修行のような毎日ですね(笑)。
厳しい高校生活を経て、いよいよプロの世界へ進まれたわけですが、ヤクルトにはどのような経緯で入団されたんですか?
武岡:もともとヤクルト球団にご縁のある方とつながりがあって、「枠が空いたら取るかもしれない」と言っていただいていたんです。その言葉通り、ドラフト6位で指名をいただきました。プロに入って感じたのは、テレビで見るよりも選手一人ひとりの体格やスピードが桁違いで、まさに「化け物の集まり」だと感じました(笑)。