- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県伊方町
- 広報紙名 : 広報いかた 2025年11月号
ジョンソン
アンドリュー・ブレイディ
マラソン(前編)
今年11月、私は佐田岬マラソンに3度目の出場を果たします。走力に自信はないのですが、毎年この大会を心待ちにしています。コースは長い坂道が多く過酷ですが、とても美しいルートです。
レース当日のエネルギーは特別なもので、その雰囲気がたまりません。各選手にはそれぞれのルーティーンがあり、お気に入りのランニングウェアやシューズを身につけて走ります。その多様性は活力を与えてくれます。しかし、目的はみんな同じです。年齢や能力に関係なく、すべてのランナーはこれからの肉体的な試練に挑まなければなりません。つまり、レースの途中で身体が慈悲を叫び、心はその声を押し切る強さを持ち続けなければならないということです。この感覚がマラソンに特別な連帯感をもたらします。
ここで、マラソンの歴史についても少し触れたいと思います。この歴史が、マラソンにさらなるロマンを添えてくれると思うからです。
マラソンの名称は、紀元前490年にアテネとプラタイアのギリシャ都市国家連合(アテナイ)と、ペルシア帝国との間で起こったマラトンの戦いに由来します。当時、ペルシア帝国の力は絶大で、東にあるインダス川流域(現在のパキスタン)から、西にあるアナトリア(現在のトルコ)、エジプト、エーゲ海に至るまで広がっていました。しかし、ダレイオス1世はこの広大な領土に満足していませんでした。その結果、ダレイオスはギリシャ本土に目をつけ、侵攻を計画したのです。
ペルシア軍は侵攻の拠点として小さな港村マラトンを選びました。マラトンは海に面した広大な平原で、容易に船にアクセスでき、騎兵(ペルシアの精鋭部隊)を集結させるのに理想的であり、アテネへの行軍距離も十分でした。理想的に見えましたが、ペルシア軍は重大な点を見落としていました。マラトンの平原は南と西を山に、北を深い沼地に囲まれていました。万一失敗すれば、撤退と再編成は困難を極めます。この隙を見抜いたアテネの指導部は、動員可能な現兵力を集結させ、決断しました。「侵攻の成否はマラトンで決着する。必ず。」
来月に続きます…
