- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県松野町
- 広報紙名 : 広報まつの 令和8年2月号
河後森城跡で使用されていた最大の建物跡は、本郭(ほんかく)と呼ぶ地点で発見されています。本郭は城内で最も高い位置に築かれた曲輪(くるわ)(平坦地)で、まさしく城の中心地と言える場所でした。
建物跡は、本郭の中央のやや東よりで検出されていますが、規模は東西約12.4m、南北約9.2mで、面積が114平方メートルほどでした。掘立柱(ほったてばしら)という構造で、地山の岩盤に穴を掘って直接柱を埋め込んで建てる方法が採用されていました。他の建物跡と比べても、柱穴は大きく深く掘られており、建物が巨大であったことがわかります。この柱穴のうち1箇所からは、中国産の陶磁器(とうじき)の破片が見つかっており、その特徴から建物の時期も1500年代であったと推定できます。
本郭という中心地に建てられた大型建物は、おそらく城主クラスが使用するような性格のものであったことは間違いないでしょう。これまで城主の館(やかた)の推定地としては、江戸時代の古記録から松丸側の麓にある永昌寺の境内が有力視されてきましたが、動乱の戦国時代、河後森城主は山城の頂上にも拠点を設けていたようです。
(続く)
