文化 文化薫道(ぶんかくんどう) 〜文化の風が吹くまち ちくしの〜

■其の百十一
日本遺産の世界 in 筑紫野
岡田地区遺跡(おかだちくいせき)の役所跡(やくしょあと)

令和6年4月号から1年間、筑紫野市の古代の文化財について紹介してきました。最後は、岡田地区遺跡(岡田所在)で締めくくりたいと思います。平成6~9年にかけて行われた発掘調査では、古代官道(都や地方などの拠点間を最短距離で結ぶ道路網)とともに、奈良時代頃の建物跡が多く発見されました。建物跡は古代官道を意識しながら整然とたち並び、規模も大きく、また文字が書かれた土器も多く出土しているため、古代の役所跡と考えられます。
近年、周辺遺跡の調査と研究が進み、この役所跡が古代大宰府にかかわる「関(せき)のような施設」である可能性が高くなりました。古代の関は、古代官道の要所に設置された、人の行き来を管理する施設のことです。
どうして、このような施設が設置されたのでしょうか。記録がないため、はっきりとした理由は分かりませんが、このころ九州では、藤原広嗣の乱(740年)が起こります。広嗣は大宰府の実質トップの人物で、大宰府の機能が一時止まるほどの事態に陥りました。乱後すぐには、社会の混乱もおさまらなかったことでしょう。張り詰めた空気のなか、治安の回復を要したと考えられるのです。そのため、人の行き来を管理する施設が設置されたのかもしれません。
発掘調査で関の跡が見つかることは珍しく、岡田地区遺跡の関のような役所跡と古代官道は、筑紫野市の古代を代表する重要な遺跡といえます。

問合せ:文化財課