文化 唐ワンくんの唐津今昔物語156

◆「唐津の記念物」(37)
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~
▽寺沢兵庫頭堅高墓碑(てらざわひょうごのかみかたたかぼひ)(市指定史跡)
寺沢兵庫頭堅高は、唐津藩初代藩主寺沢志摩守広高(てらざわしまのかみひろたか)の子で、寛永(かんえい)10(1633)年に広高の死去により、その跡を継いで2代藩主になりました。当時、唐津藩は天草(あまくさ)地方を飛び地として領有していましたが、寛永14(1637)年に「島しま原ばら・天草の乱」が勃発し、堅高は幕府軍とともに乱の鎮圧に当たりました。乱の終結後に失政の責任を問われ、天草領4万石を没収され、その後堅高は、正保(しょうほう)4(1647)年に江戸で自害しました。一説には、天草領没収による精神的な動揺が原因とも言われています。これにより、世継ぎがいなかった寺沢家は断絶してしまいました。
堅高の墓碑は、西寺町の近松寺(きんしょうじ)に残されています。高さ2.5m、幅1mの整形されていない自然石の表には「孤峰院殿白室宗不居士」、裏には「正保四年十一月十八日」と刻まれています。ほかの唐津藩主の墓と比べると、非常に簡素な造りであり、寺沢家が置かれた当時の情勢がしのばれます。

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