文化 多久市の指定文化財(2)

ー高野神社石造肥前鳥居ー [多久市重要文化財]
南多久町下多久二五〇○番地

高野神社は、江戸時代の多久の地誌『丹邱邑誌(たんきゅうゆうし)』(深江順房(ふかえよりふさ)著)によると、建久年中(一一九○~一一九九)に多久宗直(たくむねなお)(前多久家開祖といわれる)が紀州高野明神を勧請して創建したとされ、龍造寺長信(りゅうぞうじながのぶ)の社殿再建などを経て、明治時代になるまで多久家に尊崇されていたと記されています。
この神社の三の鳥居は肥前鳥居と呼ばれ、主に肥前地方を中心にみられる独特の特徴を持ちます。その形態は笠木(かさぎ)と島木(しまぎ)が一体化し、その両先端がゆるやかに反り、笠木・島木・貫(ぬき)・柱とも三本継ぎの典型的な肥前鳥居になっています。
この肥前鳥居は、刻まれた銘文によると、多久安順(たくやすとし)(多久邑初代領主)が元和九年(一六二三)に寄進したものです。また鳥居の柱には「大日本肥前州小城郡□□所大明神御宝前」、額束には「高野大明神」と刻まれており、上記『丹邱邑誌』に記載された創建の経緯なども踏まえたものと考えられます。
(教育振興課)